2009年11月22日日曜日

風車

今日はフランスから留学してきている友人に、卒論の記述を直してもらう。
次回会うときまでに3章を書かないと・・・(2章をスキップしているのですが:()


卒論真っ盛りですが・・・最近、以前友達のお姉さんが薦めてくれた『落日燃ゆ』を読んでいたりします。あまり史実に沿った小説を読んだことがなかったのですが、とても興味深く、日本史嫌いだった私にとって良い復習の材料になっていたりします。高校の時の日本史の授業で、(本願寺というあだなの)先生の「結局開戦に踏み切った時の政策決定過程は混とんとしていて、誰に主な責任があるかってはっきり言えないんだよねー。御前会議でも、天皇に最高権限があるとされつつも、最終決定までの流れはとても不明瞭。」という発言を受けて、「え、先生、それってどういうことですかー?」「それっておかしくないですかー?」とクラス中から質問の嵐だったのを思い出したり・・・笑 城山さんの本では、あまり天皇に関する記述はなく、軍部対外務省(+内閣・御前会議・世論)の図式で当時の意思決定過程が説明されていて、勉強になりました。
広田弘毅像が風車に例えられているのですが、飄々、淡々と物事を静観する姿勢はちょっといいかな、と思ったり。あと、日本史で死ぬほど出てきた幣原喜重郎が、よくも悪くも「優等生的外交官」されていたのが印象的。
今年の3月にドラマをやってたみたいですね。


今週は、パフォーマンス色の強い事業仕分け第二弾を見学しに行ければいいなぁ、と思いつつ・・

気づけばこんな時間に。
お風呂に入って寝よう。

2009年10月29日木曜日

眠れない夜に

昨日はあまり寝ず、民法で意識を失ったw 
今日はたくさん晩御飯を食べて、重い荷物を抱えて、傍若無人なかんじで眠気に倒れそうになりながら家に着き、10時半くらいにはベッドに入るものの・・・・・また覚醒してしまった。


最近もやもやしている、というウィーン在住の天体物理学者?の卵と話していて、お互いそういう年齢なんだなぁと思う。一緒に夏を過ごした16歳くらいの時とか、今より明らかに能力が劣っていたけれど、とにかくどこまでも遠くに行ける自信があった。そんな懐古的な思考回路になってしまった夜中です。

余談ですが、彼女は16の時から「私は天文学をやりたい」と言っていて。何年かぶりに連絡を取り始めたとき、彼女が天文学の学士号を取り終わったとの近況報告を聞いてものすごく嬉しかったな。

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異論があるかもしれないけれど・・・・
シアンスポでは、「多様なバックグラウンドを持つ人の中にいた」ようでいて、実はそうでもなかったのかもしれないと思う。政治科学系のグランゼコールであるゆえに、学生たちのアカデミックな言語や物差しは、意外と万国共通だったりする。海外からの留学生も、同じ学問体系を身に付けた上でシアンスポにやってくる。例えばみんな同じIRの本を読んだことがあったり、みんなle MondeやEconomistから情報を得ていたり、ゆえにちょっと言葉足らずでも容易に相手の言わんとしていることが想定できたり。
Political Scienceという枠組みの中での高みをまざまざと見せつけられたし、同じ学問的共通言語を持った人たちと触れると脳内に電波が走るような感覚がしたりもしたけど、良くも悪くもひとつの価値体系の中にいたのだな、と思う。(それが西洋的学問体系、と言えるのかどうかはわからないけど、トルコの学生やインドの学生はこうした価値体系からはちょっと浮いていたように思える。まさに、多様性を提供していたのでしょう。)

同様の「前提」を持つ集団の中で、なんとなく皆が向かう方向が似ていて、そこにちょっと安心したりもしていた。というか、随分そこに浸かってしまったかなぁとも思う。自己正当化しやすい環境ではあったかな(ある先生に至っては、君は将来外交官になりたいんだね、そうなんだね、とか催眠術をかけるように繰り返し言うしwとてもいい先生でしたが。)



東京では、「前提」が違う人たちと会う機会が意外と多いなと思う。
だからこそ、心地よい刺激を受けつつも、自分がぐらぐら揺れるし、違う尺度や異なるツールが欲しくなる。羨ましくなって真似したくなるんだな。いつも援用する「できないからやってみよう」ロジックを使いたくなってしまう。挙句の果てに、指導教官には、「そのロジックで行動することで結局何もできずに中途半端、と思ってしまうかもしれないけど、自分の強い部分は伸びてるんじゃないかな」と慰められるw

いろんな「前提」に浸かったり晒されたりするけれど、一度0ベースに戻したいこの頃。
16歳の夏には、自分がどうしたら一番価値を発揮できるか、わかっていた気がするな。

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と言いつつ、実務面では進めなければいけない側面もあって、去年の今頃かけられたD先生の催眠冷めやらぬ私は、いそいそと説明会へ向かうのです。D先生最強。

ちなみに、D先生から生徒へのメッセージ。
Parlez bien
Voyagez beaucoup
Parlez trois langues etrangeres

巧みに話せ
大いに旅せよ
3つの外国語を使いこなせ

2009年10月15日木曜日

「良かった」の中身

友達の素敵な日記を読んで、少し書きたくなりました。

結局、私にとっての留学とは何だったのか。

「どうだったの?」と聞かれて、「行ってよかった」「~~を勉強できた」とか、結構紋切型の答えを重ねてきましたが、1年の月日はそうした感想に収まりきるわけはなく。誰かに話したかもしれませんが、パリ政治学院への留学は、成功体験だけではなく、多くの挫折体験からも成っているわけです。なので、決して美化してはいけないな、と常々自分に言い聞かせています。成功体験だけを抽出して、「本当に良かった」と幕を引いていいものか。

いつもでも楽しく、美しい街並みの中を意気揚揚と闊歩していたわけでなく、夜中に、考えごとをしながら、Pont des Artsを渡り、ルーブルの庭を抜け、Rivoli通り沿いを歩き、コンコルド広場からまた左岸へ戻り、それでも落ち着かなくていてもたってもいられなかったこともある。

現実は「良かった」という言葉で簡単に割り切れなくて、もっと混沌としていたかな。成功体験と思しきものが意味を持っているとは限らないし、日常の何気ない連続が後からはっとするような意味を持つこともある。なので、帰国後三か月たった今も、私はあの1年を咀嚼し続けているのです。きっとこの留学を評価できるようになるのは、あと5年、10年経ったときじゃないかな、と漠然と感じる。

あの1年での挫折体験というのは、私にとって大きな財産であることに最近気づかされる。悔しくて仕方なかったこと、全力を尽くしたけど道半ばで手が届かなかった部分、力を出し切れなかった側面、そうしたすべてが今の私を突き動かすモチベーションであり、課題である。これらを乗り越えられたときはじめて、去年1年は私にとって「良かった」と言える期間になるのでしょう。

もちろん、できるようになったことはほんの少しは可視化されたりしているかな、と思ったりする。
例えば去年の論文指導と比べて、明確に自分の思考を外国語でそこそこのロジックの下に表現できるようになったり、言葉のキャッチボールの中での自分の球数が格段と増えていたり。まあ当然といえば当然なのだろうけど、少し嬉しかったかな。

小さな前進を大切にしつつ、パリで過ごした期間を今に生かしていきたいな。

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以下、箇条書き的に

・鎌倉へ久し振りに行きました。
・中学校の時にお世話になった先生の個展に行ったり。T先生、とてもお元気そうでした。当時、しっかり向き合って指導してくださったのが印象的です。
・勉強会のタスクが出現したようです笑 ロシアかー・・・
・論文を進めなければ・・・
・今学期はアジア科の授業をいくつかとってみます。今までとる機会がなかったので。

ということで、明日も駒場。駒場も実は、残り少ない。

2009年10月3日土曜日

Grâce à vous tous...!

おやすみなさい、を言って寝ようとすると心がざわついて眠れない最近、変な夢をいっぱい見ます。今朝は夢の中で、「おばあちゃん、もう食べられないよ~」と言いつつ、ナスのみそ煮をたくさん食べておりました。私、大丈夫かな・・・w


それはさておき、表題どおり皆々様のお陰で、ひとまず進路が決まったように思います。今回は、本当に「御蔭様で」という言葉がぴったり。飄飄と一匹狼的に準備をすればいいものの・・・・・あの時の私はどこに行ってしまったのでしょう?と焦りつつ・・・・・ここ二ヵ月で結局一番苦労したことは、もしかしたら法律の文言や学説ではなく、自分自身との付き合い方だったのかもしれません。自分にどん引きすることもありつつ、新たな扱い辛い一面も、上手くコントロールしなきゃいけないですね。


今日は偶然、恵比寿駅の改札で、幼稚園の担任のT先生にばったり。1月生まれの「未発達」な私に手を焼きつつも、芯が一本通ってるから、と仰って下さった人。弟のことを話したりしつつ数分だけお話したけれど、とても懐かしかった。22歳になっても互いに認識できるなんて、ちょっとすごいかもしれない・・・もしかしたら私が5歳から変化ないだけかもしれないけど。。。22歳の私は、芯の通った人間に映ったのでしょうか。


その後、T先生率いる「藤組―梅組」の一員だった友達と会う。自分の根っこを知ってる人に会うと、とってもシンプルかつ素直なモチベーションが湧いてくるから不思議です。お揃いのシュシュを頂き、女子っぽくていいなぁと思ったり^^


夜は祖母に電話をして、要は、知恵と力と女子力を磨きなさい、と言われた。電話の最後に、「人生って複雑ね。ふふ。」と言われた。すべてを乗り越えてきた人のことばは重い。


また眠くなってきた気がするので、布団に入ってみようかな。
助けてくれた人たちのお陰で、新しいスタートラインに立つチャンスが得られたことを感謝しつつ・・・
ここ10月、11月が勝負どころかな。

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「駒場の安全保障ってどうなの?」
という質問は、ちょっと無茶ぶりなんじゃないか、
・・・と、未だに思うのですが、どうなんでしょう笑

2009年9月27日日曜日

2007/06/22

2年前の深夜、初代京論壇ブログに、自分がこんな投稿をしているのを見つけました。

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安全保障分科会のテーマ決めに際して、
日中双方が関心を寄せているテーマとして、
Taiwan Strait Issueが挙がっている。
果たして、安全保障というがっちりとした文脈の中で、
どれ程深められるテーマなのか、まだまだ未知数であり、
準備の仕方によって議論の方向性も変わってくるだろう。
いずれにせよ、台湾問題が多分に感情的側面を含んだ問題であるということが、
この問題の解決を困難にしている一要因である、と考えることは可能だと思う。

先日、フランス科の某M先生と、日中関係について話していた時のことだ。
先生は、李登輝訪日に際して、彼のことを、「迷惑な人間である」と評した。
何気ない一言であることは明白だった。
しかし、その瞬間、私の頭は真っ白になり、怒りすら感じたのだった。
私は、李登輝について、客観的な視点を失った自分に今でも驚いている。

一年間、台湾に住む。(ゴキブリと格闘し、北京語は習得できない)
小学校低学年頃まで、何度か台湾に足を運ぶ機会があり、
台湾はれっきとしたstateだと捉えていた。
祖父は李登輝と親交があり、
祖父の事務所には、李登輝と祖父の写真、そして台湾の旗がある。
二人は、親日・反中である。
李登輝の話をなんとなく聞かされて育つ。

中学生になった頃から、台湾に行かなくなる。
大学では、台湾は、国家承認をなされていないentityとして扱われる。
台湾と縁遠くなった私は、Taiwan Strait Issueに対して、
客観的な見解を持てると考えていた。

しかし、先日の某M先生の発言に、感情的になってしまった自分がいた。
台湾問題や、歴史問題の感情的な側面を、自分の存在を通じて痛感した瞬間だった。


と、だらだらと書いてしまいました。つまらないですね。
ただ、歴史問題などにはこうした個人の感情の根っこが常につきまとうのでは、
と思って書いてしまいました。
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※M先生は、留学に際してとてもお世話になりました。

今日は母が、私の進路とアイデンティティーについて初めて口を出す。
私はあまりにも楽観的で、半年くらい前に指摘してもらってはっとしたのですが・・・国家という枠組みの前では、異邦人になってしまうのか・・・でも、決してネガティブな要素としては捉えたくなくて、所与のgiftと思って大切にしたいものだし、今までもずっとそうしてきたのだと思う。別に誰かに押し付けるのでなく、自分の中でそっと大切にしてゆきたいものなのです。

2年前の投稿を見つけて、ちょっと眠れなくなりました。


台湾人生


追記:
上記のようなことについて思いを巡らせていると、最近この人を思い出す。
パブリックセクターでUne femme pour deux paysを実現するって日本ではなかなか考えられない。
本当にこの人キレキレで怖かったw

Courrier Japon

父と一緒に愛読している雑誌です。
フランス発のCourrier internationalと提携している日本版。
フランスのより値段が高い分、厚みがあって日本に特化した記事もあり、とても充実しています。

ちなみに、フランスに行っている間に、父が毎月買いためてくれていたそうですが、母にごっそり捨てられたとの報告がありました。アメリカの政権交代に関する号やDVD付きの号まで捨てられ、親子で涙目です笑

フランスでは、クオリティペーパー・マガジンがとても充実していて、とても恵まれた環境でした。
個人的には、Le Monde diplomatiqueとか、Courrier internationalが好きでした。ちょっと左っぽいかな?笑保守系で言うと、フィガロの経済面は難しいながらもぱらぱら見ていて、興味深かった。

フランスで驚いたのは、様々な政治的なポジションに対応したクオリティペーパーが一般に広く受け入れられていること。ちょっと大げさかもしれないけど、町のどこを歩くかで、みんな読んでいる新聞が違ったり。学生は中道左派のle Mondeか、左派のLiberation、ビジネスマンはles Echos、昔のホームステイ先のおうちはle Figaro(彼らはUMP支持者で、FNの言うことは部分的には正しい、という考えの持ち主!)、置いてあるクオリティマガジンもおうちによって違ったりして。

画一的でセンセーショナルな報道によって世論が形成される日本とは違って、異なる利益を背負う人々が議論しあう土壌というのが、フランスにはあるのだろうな、と、そんなことを去年の今頃感じていたのを思い出します。そもそも世論って何なんでしょう?何が世論を作り出し、誰がそれを評価するものなのでしょう。

今月のCourrier Japonから、面白かった部分を抜粋。

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欧州連合議長のバローゾとEU大統領を狙うブレアの評価です。
欧州の古いジョークに、食文化の評価が低い英国とドイツが食事係で、警察の不正が多いイタリアが警官の役割を果たす場所が”欧州の地獄である”というのがある。それにかけて、「ブレアとバローゾが君臨するEU,それが現代の”地獄”だ」とまで皮肉られている。(FT)
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鳩山政権に対する、イスラエル紙のコメント。中東の視点が面白かった。

日米関係の変化は日本のイスラエルに対する政策をも変えるかもしれない。これまで日本は、米国からの要求に従い、パレスチナへの援助を経済支援だけに制限してきた。だが新しい政府はハマスの存在を認めるなど「新アラブ」の姿勢を取りそうだ。場合によっては、入植地の建設を中止するよう要求するなど、イスラエルに難題を突き付けるようになる可能性もある。(ハアレツ)
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なんだか気疲れした1日。
家の周りの歩きながらいろいろ呟いてみる笑
明日もできるだけ考えよう。

2009年9月23日水曜日

Obama will respect international law more than Bush did?

Think Again: International Law

Governments respect international law only when it suits their national interests. Don't expect that to change any time soon.

BY ERIC POSNER | SEPTEMBER 17, 2009

"Obama Will Respect International Law More Than Bush Did."

No. George W. Bush did not brush aside international law as casually as his critics claimed, and President Barack Obama's approach is likely to be surprisingly similar. The United States -- under the leadership of both the Republican and Democratic parties -- has taken a fairly consistent approach to international law over the decades, one that involves building legal regimes that serve U.S. interests and tearing down those that do not.


The bill of particulars against Bush seems long. He withdrew the Unites States from the Anti-Ballistic Missile (ABM) Treaty with Russia; "unsigned" the Rome Statute that created the International Criminal Court (ICC); invaded Iraq in violation of the U.N. Charter; authorized war-on-terror tactics in tension with human rights treaties and the Geneva Conventions; dragged his feet on a climate treaty; imposed a tariff on steel in violation of international trade law; stood by while a genocide took place in Sudan; and refused to sign a host of new and old treaties aimed at promoting human rights and limiting violence in war.

But there is less here than meets the eye. Bush acted within the law by withdrawing from the ABM treaty (which permitted withdrawal upon six months notice, a requirement he observed), and he had no obligation to maintain the U.S. signature on the Rome Statute (which lacked support from both political parties in the United States). Nonetheless, Bush provided valuable support to the ICC by agreeing to allow it to investigate crimes in Sudan. The invasion of Iraq did violate the U.N. Charter, but it also removed one of the world's worst international lawbreakers and vindicated the U.N. sanctions regime that Iraq had disregarded.

There was little political support for a climate treaty until the end of the Bush administration. When that support finally materialized, Bush signaled that he would go forward with such a treaty. In similar ways, Bush's war-on-terror tactics moderated over time, as the threat diminished. Bush had no obligation to intervene in Sudan -- indeed, an intervention without Security Council authorization, which would certainly have been blocked by China, would have been unlawful. Nor did he have an obligation to sign other human rights and law-of-war treaties that he disapproved of.

During his presidential campaign, Obama expressed support for the International Criminal Court and humanitarian intervention. In office, he has done nothing for the ICC and has stood by while the killing continues in Sudan. He has promised to close the detention facility at Guantánamo Bay; the problem, however, was not that the facility itself violated international law but that the detention methods practiced there (arguably) did so. These very same detention practices have continued in Iraq and Afghanistan.

Meanwhile, Obama has sought to give immunity to Bush-era interrogators -- another possible violation of international law, and certainly in tension with it. Bush's unlawful tariffs on steel are matched by the "buy American" provision in the stimulus bill signed by Obama and the tariffs that he has slapped on Chinese tires. Obama has provided some symbolic support for international law in a few ways, but where it counts -- obtaining Senate ratification of the Law of the Sea treaty (which Bush also supported) and numerous international human rights treaties -- he has expended no political capital. Don't expect this to change.

FPより

2009年9月22日火曜日

Something's on my mind

早寝しすぎてしまって、今眠れない。

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思い返せば、中学1・2年生の時はとてもストイックだった気がする。
どこからモチベーションが湧いたのか、今となってはわからないような、とても不純な動機があったような、そんな気もするけど、とにかく貪欲に完璧を求めていたような記憶がある。何より、自分が進むべき方向に向かって、適当な手段をもって進んでいるという認識と充足感があったように思う。

本当に小さなことなのだけど、中学3年生の夏に、完璧の一歩手前でふっとしがみつく手を離してしまったことがあって、それ以来、ここぞという時にちょっとした妥協をしてしまったりすることが多くなったように思う。最近よく、あの時に諦めなかったら今の自分はどうなっていたんだろう、と思うことがある。自分の中のあるべき姿が、過去の自分、というのはとても情けなくて。そろそろ過去の自分を超えなくては、と思うのです。

あとは、自分をコントロールできるだけの年相応の思想を持つべく、新しい経験をする前に、今までの経験を咀嚼しなければ、とよく思うのです。リソースが足りないのではなく、材料をうまく調理しきれてないかな、と。客観的に見て、ちょっと未成熟だな、と思うのです。

よい機会なので、ここ1週間、内的な作業と、アウトプットに集中力をもって臨めればいいな。

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怒られそうですが、昨日は特に何もせず・・・・働きはじめてもこんな休日が月に何度かあればな、と思いつつ過ごしていました。
しっかり頑張って初めて許される時間(とお金w)の使い方だと思うので、しばらくまた色々積み重ねたいです。

マリオカート、良い。

2009年7月21日火曜日

Retour

7月9日のパリ上空は快晴。低く重なる雲がとてもヨーロッパらしかった。

チェックインまで40分以上待ち、微妙に重量を超過したスーツケースを預け、明らかに12kgを超える手荷物を隠しつつ、引きずりつつ(係の人に「本がつまってる?」と聞かれたw)、飛行機に乗り込む。

気づけば外は夏の雨が降っていて、あっという間にフランスの町並みは雲の中に姿を消した。

前日までの引っ越し準備で相当ばたばたしていて、心がまだ移動していなかったのか、1年間過ごした町を離れるという実感がほとんど湧かないままのフライトだった。
Ce que pensent les hommes(邦題がひどい・・・)の一番かわいらしいシーンを見返しているうちに、成田へ到着。

ちょっと不思議な組み合わせの車中、高層ビルが目に馴染む。
本郷で降ろされ、お茶の水で沖縄料理(?)を食べ、1年ぶりの家に。

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帰国直後はなんとなく浮遊感があったり、不安があったり、ふらふらした感じでしたが、飽食の国日本に再び自分の立ち位置を見つけ、前進する足場ができたかな。
最初は巨大から揚げを全部食べられず悔しい思いでいっぱいでしたが、ここ最近は胃も絶好調です。今日もたくさん食べて、なんだか満たされた気分で眠ります。

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とにもかくにも、無事帰国致しました。
留学が決まるまで、そして留学期間中、支えてくださったみなさん、心より感謝申し上げます:-)

2009年6月13日土曜日

Perfection or imperfection?

学校と家の中間あたりに、まっすぐのびて美しいrue de varenneという道がある。
実は先日、初めて踏破してみたりして、ふと歩きながら、Russian Dolls(Les poupées russes)の1シーンを思い出した。

これはフランス人学生のスペイン留学の1年を描いたSpanish Apartment(l'Auberge espagnole)の連作で、主人公たちが大人になった姿を描いたもの。(主人公のXavierは最後にEU官僚の道を捨てて、物書きになろうとするのです。)そういえば2年生くらいだったかな?周りの友達がみんなこれを見ていて、どっちが好きか、という話になったものです。私は断然Spanish Apartmentの方が好きだったんだけど、「Russian Dollsには本気が感じられる」と言ってる子もいたなぁ。と思い返す。

Xavierがサンクトペテルブルグの完璧に対照な町並みを歩きながら、「完璧なもの」を追い求めることの意義を問うシーン。

飛躍しますが、ここ1年間はいろいろな既存の定義を根幹から問い直す機会がたくさんありました。
完璧で隙がなくて広く享受されている既存の概念を解体して、批判的な考察を通じて、新しい角度から新しい光を照らす。そしてまた完全ではないけれど答えを探す。そんな作業をする機会がたくさんあったな、と。きれいに割り切れる説明を鵜呑みにするのでなく、複雑かつ矛盾を多く孕む、魑魅魍魎とも言える現実をつぶさに見つめて、そしてそれに自分なりに切り込む、そんな姿勢がほんの少しはできたかな。

「完璧」には幻想がつきまとうもの。「完璧」を愛するのでなく、「完璧」を常に問いなおしていければ。自分の理想もそういうプロセスの中で、解体され、再構築され、確固たる何かになるのかも。
そう感じさせられた1年でした。

と、そんなことをぼやっと考えながら、22時過ぎなのに夕暮れに染まるパリを歩いていたわけでした。

Russian Dollsは色々な本気、がつまっているんだけど、perfectionとimperfectionの対比というのも一つのテーマなのかな。





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あと1月弱で帰国します。
帰国、とは言うものの、やはり新しい環境にまた飛び込むわけで、自分の様々な価値観もまた揺れるのかもしれない。正直少し怖くもあるけど、楽しみでもある。


携帯が半分に割れかけたのですが、まだ使えるみたいです。
去年もこれくらいの季節に一個割ったのを思い出しましたw

2009年6月1日月曜日

起き上がり小法師

abonnement mensuel、今更ながら、買っちゃいました。
ロダン美術館のお庭の1か月パス。6€。
家から15分。バラが咲き乱れるこの季節、読書には最適な場所だと判明したので、『考える人』にならって思索を試みようかと笑
そういえば、初めてパリに来た時に、Sきちゃんとお茶をした場所でもあります^^

このmensuelという言葉ではっとしたのですが、これがここでの最後の1か月なのです。
ざっくりと、雑に物事を捉え(過ぎ)る私ですが、ここ数カ月、ちょっとずつ中学生の時みたいな心の襞が芽生えつつあるように思う。あとちょっとしたエネルギーみたいなのも。何度も何度も打ちのめされて(この学校にはめためたに打ちのめされる機会が豊富w)やっと起き上がりこぼしみたいによいしょっと戻ってこれた感じでしょうか。
この感覚を握りしめて帰りたい・・・。7月頭に帰国予定です。

とはいえまだまだ吸収していないことの方が多いんじゃないかと焦ることも。
心の襞の表面積をふやして、いろいろ吸い取りたいですw


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今日は久々にこれを聴いてみたり。
あとStandという曲の、
Mothers weep, children sleep
So much violence ends in silence
It's a shame there's no one to blame
For all the pain that life brings
という一節が妙に心に残る。

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これも久々に見つけた。マギー・ジレンホールの横顔がきれい。
結構女の子との間で、どの話が一番好き?という話題になったりする。

2009年5月30日土曜日

リスク

備忘録的に、いろんなものがすりぬけていかないうちに。

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リスクを取り切れない人は、いろいろな人を巻き込む。
みんなで渡れば怖くない、を地で行くことになる。
そうすればリスクが分散できる。
ただ、それでリスクの高い交渉に挑めるはずない。
大きな「結果」が生み出せるはずもない。
大胆な行動に、出られるわけもない。
リスクを取るから、大きな成果は手にはいるのである。
最近、勉強の合間に読んでいる本から。印象に残ったので。
リスクをとるための、自分への確信がもっと欲しいなと思う最近。

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どこの国の子だっだか忘れてしまったのですが、ヨーロッパの学生の発言、
「イランに比べたら、北朝鮮の実質的な脅威は相対的に低いのでは。リアルにシナリオを描くほどの脅威ではないのではないか。」
それに先生もほぼ同意。
「リアルじゃない」
ここ数日間の動きを見てなお、そう言えるでしょうか。

北朝鮮の外交って、とてもirrationalに見えて、実はrationalだなと思っていましたが・・・
今回はどうなってるんでしょうか・・・

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人のつながりは不思議!と思う夜。
小・中・高が同じだった友人の家に招かれて、御馳走になる。(私もあれくらい料理できたらなぁ・・・)
アメリカでIRを勉強されていた方もいらしていたのですが、アメリカのIRの世界では中国・インド一辺倒で、日本に関する地域研究の授業は廃止されてしまったそう。
完全な印象論ですが、フランスでは日本の地位はまだまだ高い方なのでは、という話に。SCPOでのIR的な授業でも、日本の地位はまだまだ評価されていると感じられる。(Japanese Politicsていう授業もあるしねw来年東大に来るSCPOの子は、日本共産党についての発表を準備していた・・)

それにしても、彼女が日本に帰ってしまうのは、なんだかさみしい。


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そろそろ卒論の季節ですね^^
私たちの学科の卒論は、外向きに発信することはなかなかできないけれど、良い自己鍛錬の機会ではあると思う。(語学とか語学とか)
自分の中に有為な経験・知識として蓄積されるような、そんな卒論作成をしたいものです。

この前のproposalを見て、先生が怒ってないか不安・・・・・・


明日もきれいに晴れますように。
まだまだパリをdécouvrirする余地はたくさんあるのです。

2009年5月28日木曜日

自分の感受性くらい

今日はSCPOでの最後の発表。
1日に2個こなさなければならず・・・・・・

非常に遅ればせながらではありますが、やっと、本当にやっとのことで、いくつもの課題を同時に進行させてそこそこの質の持っていく術を(ちょっとだけ)体得できたように思います。非常に基本的なことなんですけどね、とても苦手だったのです。
脳みそをしっかり使っている時、異様に感受性が鋭くなって、根拠のない気概みたいなものがふつふつと湧きあがってくる感覚を久しぶりに経験できたのでした。
気づけばあと2か月弱、この感覚を自分に根付かせたいなと思いつつ、ケバブを食べておりました。
エッフェル塔やアンヴァリッドの灯りが消えて、あ、もう寝なきゃ、と思う生活は本当にあとちょっとなのだな・・・と。むず痒い気持ちにもなりつつ。

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日本から、とっても読みたかった本と、大量のお菓子、そして諸事情によって一時帰国していた眼鏡ケースとイヤフォンが届き、非常にテンションが上がりました^^日本のグミ最高。

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そういえば今日、シアンスポに爆破予告があったのでした。で、何時間が学校が閉鎖されていたのですが、そのニュースを聞いて、ふーん、としか反応できなかった自分の危機管理能力の低下にがっかりです。。

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Marianne Péron-Doise, spécialiste de la Corée du Nord

La stratégie ambiguë de Pyongyang vis-à-vis de la Corée du Sud



Après son essai nucléaire et ses tirs de missiles, la Corée du Nord a menacé de plonger la péninsule coréenne en "état de guerre" si son voisin du Sud se rangeait aux côtés des menaces de sanctions internationales. Marianne Péron-Doise, spécialiste du la Corée du Nord, chargée d'enseignement à l'Inalco et Sciences Po Paris, revient sur la relation conflictuelle entre les deux Corées.

Quelle est la nature des relations entre les deux Corées ?

Il n'y a pas de traité de paix à proprement parler entre les deux pays. Les relations inter-coréennes se sont donc établies bon gré mal gré, mais dans un climat de défiance extrême puisque les deux pays sont techniquement toujours considérés comme en état de guerre. On comprend très vite que c'est une option à caractère économique qui a été choisie par le Sud comme soutien à la politique d'ouverture et de recherche d'apaisement des tensions avec le Nord.

Des accords de coopération ont cependant été mis en place entre les deux pays...

On a eu le sentiment d'une certaine stabilisation. La Corée du Sud s'est montrée très volontaire pour venir à bout de la méfiance de la Corée du Nord et l'aider à sortir de son isolement. Le Nord a vite compris les avantages en termes d'aide alimentaire, énergétique et financière. Ces avantages ont amené la Corée du Nord à composer et à établir des rencontres plus ou moins régulières. D'abord dans une optique humanitaire, avec la réunification des familles séparées par la guerre. Puis quand le Nord s'est enfoncé dans le sous-développement, avec des famines très dures pour les populations, est venue l'étape économique de la coopération.

Mais il y a toujours eu des phases de recul car la diplomatie nord-coréenne avance toujours sur une base de confrontation. Dès que la discussion dépasse ce qu'elle estime être ses intérêts propres, elle se retire du jeu en mettant en avant le principe de l'autodéfense. Et la victime la plus évidente de ces phases de recul est le voisin le plus proche : la Corée du Sud.

Hormis la question du territoire, quelle est la fracture entre les deux Etats ?

Les écarts entre les deux Etats se sont considérablement creusés et le Sud jouit d'une belle réussite que le Nord n'est pas capable d'égaler. Le Nord s'en est rendu compte dans les 1990, quand il a été lâché par ses alliés traditionnels, la Russie et la Chine. C'est à ce moment-là que l'on a assisté à la recherche de capacité asymétriques et de développement de programmes militaires au détriment du développement économique et social du pays, et de la population.

Le grand frère du Sud renvoie une image que le Nord récuse : un niveau de vie plus élevé mais qui a renié les idéaux de la Corée ancienne. Le Nord revendique l'héritage de la "coréanité". D'autant plus que Séoul collabore avec les Etats-Unis et s'est rapproché de l'ennemi abhorré et ancien colonisateur qu'est le Japon.

Les accords économiques n'étaient donc qu'un prétexte pour Pyongyang ?

Symboliquement, il était important de déminer cette zone frontière, et on avait le sentiment d'une certaine réunification. Mais chaque côté projetait une forme de réunification selon ses propres intérêts, et cela n'a fonctionné que sur la base économique. Quand on en examine leur fonctionnement financier, on voit que les projets étaient portés à bout de bras par le Sud. Les relations inter-coréennes devaient beaucoup à l'entreprise Hyundai, très impliquée dans la réunification des familles. La création de circuits touristiques permettait aussi de faire entrer des devises.

Il y a eu un gros effort financier et assez déséquilibré du Sud en échange de gains politiques tout à fait discutables, puisque c'est toujours Séoul qui fait les frais de chaque raidissement et des accès belliqueux de la Corée du Nord. Sur le fond, il n'y a pas eu de réel rapprochement.

Alors qu'on analyse souvent la menace nord-coréenne dans sa dimension régionale, envers le Japon par exemple, les menaces contre la Corée du Sud ne sont donc pas une surprise ?

En effet. Il y a toujours eu des épisodes de menaces, où Pyongyang rompait toute relation avec Séoul. A chaque fois, la Corée du Sud avait la primeur de la mauvaise humeur de la Corée du Nord dès que les rencontres internationales lui déplaisaient. D'une façon assez décourageante pour une partie de la population sud-coréenne et de sa classe politique qui sont en faveur d'une politique plus ferme. Les précédents présidents coréens du Sud se sont vu reprocher leur "sunshine politics" (politique de rapprochement) avec le Nord.

Le président actuel est conservateur et tenant d'une ligne plus ferme et basée sur la réciprocité vis-à-vis du Nord. Ce qui a eu pour conséquence un refroidissement des relations. Le paramètre qui a ajouté à la confusion et qui a brouillé les lignes est l'attaque cérébrale du "cher leader" en août dernier. Si ses capacités à décider sont entamées, derrière, il y a ses proches mais surtout le clan des généraux qui mise sur l'arme nucléaire, sur la provocation et l'escalade qu'on peut observer en ce moment. Les derniers évènements sont peut-être le reflet d'une gestion du pouvoir où Kim Jong-il n'a plus l'entière maîtrise de ses décisions.

2009年5月15日金曜日

ここ最近の天気予報を見ると、雨マークばかり・・・いつになくじめじめしているパリです。
モンパルナスタワーやエッフェル塔のてっぺんを雲が覆う日が続いています。

気分転換に、カフェで必要な文献を読んでから帰ろう~としたのですが、また突然の大雨。
傘を忘れた私は、St. Sulpiceの側で足止めに・・・。
先日の大雨で電子辞書Aをやられたので、電子辞書Bは死守したい。。。

先日、親友とそのお姉さんをCDG空港まで送りに行った帰り道のこと。
空港からオペラ座間を運行しているRoissyBusに乗り込むと、運転手さんに呼び止められる。
"Vous ne souriez pas....vous êtes triste?"「笑ってないけど・・悲しいの??」
いきなりの質問に、思わず笑ってしまうと、「おお、笑顔になった。行っていいよ~。」とのことでした笑
そんなに悲しそうな顔をしてたのかなw
人と人の距離が近いところが、フランスのいいところです。(とまとめてみたり)

4時間ぶっ通しの試験などもあって、なかなかずっと一緒にはいられなかったけれど、19年来の友人がパリを楽しめたみたいでよかった^^
ちなみに試験で出された問題は、「現在の危機が国際政治における異なるアクター間のパワー配分をいかにして変化させるか?」でした。どう思いますか?
ちなみに結構予想外の出題で、問題が配られた瞬間、大教室がどよめいていました。
タームの定義はどうするかな?どんなアクターがいるかな?自分なりの問題提起をどう設定しよう?と考えること1時間。残りの1時間でラフにプランを執筆。残り2時間で肉付け。この時間配分が正しいのか未だにわかりません笑





雨足も遠のいてきたので、そろそろ帰ろうかな。
Café du Métroより。

2009年5月5日火曜日

ふるさとは

遠きにありて想うもの


そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや

というのを久しぶりに思い出した。

今日はシアンスポで行われた、The inter-Korean border region: meta-border of the Cold War and metamorphic frontier of the peninsulaという小さな講演会へ行ってきた。北と南の国境線をめぐる多角的な考察。若干ピンボケの印象があったけど、北朝鮮の主要都市の変遷など、なかなか興味深かった。


で、その帰り道、ソウル大から留学している友人が、
「どうして今になって、すごく韓国が恋しいんだろう・・・」
「去年は韓国に飽き飽きして、早く飛び出してきたかったのに、今になってよくわからないけどすごく帰りたい」
「なんか、ものすごく、patriotになってきた笑」
などと言い出す。


なんとなく、その気持ちがわかるなぁと思ってしまった。
パリに浸って、何か月もかけて自分の居場所を構築して、違う言葉で勉強して、話して、遊んで。
春の日差しで町が明るくなって、窓から見えるエッフェル塔が美しくて、ああいいなぁと思うけれど、
夜中、家までの帰り道、ふと口をついて出てくる鼻歌が、「おぼろ月夜」だったりする。



これを聞くと懐かしい気分になりますね。


やはり望郷の念が喚起されますね。ここ数カ月はまってます。若干ふるさと違いですがw、東アジアということでざっくり。


そんなこんなで、今日の夕飯は、白米・味噌汁・肉じゃが(前回は間違えて酢をいれてしまった)でした。

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と、言いつつ、欧州市民権に関するリサーチを進めなければ。。

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明日は幼稚園からの親友がパリにやってきます^^

2009年4月29日水曜日

台湾とWHO

昨年三月に外交部で聞いたお話を思い出しました。
(あの時は前日の夜更かしでみんな眠気を必死にこらえていましたが・・・w)
そういえば、この前、le mondeだかle figaroにも、台湾が対中関係の緩和を受けて軍事費を削減したとの旨が書かれてました。うろ覚えですが・・・

とみに眠い最近です・・・

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台湾、WHO総会にオブザーバー参加へ 中国が容認か

2009年4月29日13時5分

 【上海=野嶋剛】台湾の外交部(外務省)は29日、世界保健機関(WHO)の事務局から、5月18日にジュネーブで開催される総会にオブザーバーとして 参加を求める招請が届いたことを明らかにした。これまで台湾の国連機関への参加を認めない方針を堅持していた中国が容認に転じたと見られる。

 台湾は「中華台北」の名義で出席する。71年の国連脱退後、台湾が国連傘下の主要な国際機関に参加するのは初めてと見られる。台湾の馬英九政権は 昨年5月の政権発足後からWHO総会への参加を目標に掲げ、中国側と交渉を進めてきた。対中関係の改善を掲げた馬政権との間で経済などの分野を中心に改善 が急ピッチで進んだことで、中国側も台湾への譲歩を認めたと見られる。

(朝日新聞)


台湾、WHO総会に出席へ=オブザーバーで初-中国、新型インフルで協力

  【台北29日時事】台湾の衛生署(衛生省)は29日、来月18日にスイスのジュネーブで開催される世界保健機関(WHO)年次総会に「中華台北」名義でオ ブザーバー出席することが認められたと発表した。台湾が国連機関に参加するのは1971年に国連を脱退して以来初めて。
 「一つの中国」原則を譲 らない中国はこれまで台湾がWHOに参加することを認めてこなかった。しかし対中融和路線を掲げた馬英九総統が誕生し、経済面を中心に中台関係が進展。台 湾同胞の健康問題も絡むことから柔軟姿勢に転じたが、新型インフルエンザ問題が新たに浮上、より台湾側との協力を強めるとみられる。衛生署によると、台湾 は来年以降もWHO事務局に申請しなくても参加できるという。(2009/04/29-16:39)


Taiwan invited to WHA as “Chinese Taipei”



Taiwan News, Staff Writer
2009-04-29 03:59 PM

TAIPEI (Taiwan News) – Taiwan has received a letter of invitation from the World Health Assembly to attend its meeting next month as an observer under the name “Chinese Taipei,” Department of Health Minister Yeh Chin-chuan announced Wednesday.

Taiwan’s presence at the WHA will mark the first time that the country will be able to attend the meeting of a United Nations body since it left the global organization in 1971 as China gained membership.

Taiwan has tried for 13 years to achieve the status of observer at the world health body, but resistance from China has been the main obstacle.

Yeh told a news conference he received the letter from World Health Organization Director-General Margaret Chan Tuesday night, inviting him to attend the meeting in the Swiss city from May 18 thru 27.

The invitation signified a big step for Taiwan, Yeh said. The government’s health chief interrupted a questioning session at the Legislative Yuan Wednesday morning to show the letter from the WHO to Legislative Speaker Wang Jin-pyng. The document was a short invitation, but listed Yeh’s official title.

He said he hoped to share Taiwan’s experiences in health care and hygiene with the world.

At a news conference with Yeh, Vice Foreign Minister Andrew Hsia said recent improved relations with China, international elements and Taiwan’s potential in the field of hygiene also played a part in the admission.

He said Taiwan’s application to the WHA had been the same this time as on the 12 previous occasions, and said respect and autonomy had been the basic principles for all arrangements. Taiwan had not been belittled, he said.

The name “Chinese Taipei” is the official name Taiwan uses at the Asia Pacific Economic Cooperation forums and at the Olympics and similar international sporting events. The name was acceptable to the government, Hsia said.

The opposition Democratic Progressive Party immediately lashed out at the government for giving in on the country’s sovereignty in order to participate in international events.

DPP lawmaker William Lai said the government should make conditions for Taiwan’s observer status public, while his colleague Huang Wei-cher said it remained to be seen what practical benefits the change would bring.

“If the only thing Taiwan does is following China, then it might as well not join,” Huang said.

Hsia said Taiwan would not need to renew its application each year, but would receive an invitation to the WHA like other observers. He said he expected Taiwan to be invited to all conferences and other WHO events like other observers were.

Taiwan’s office in Geneva would continue communicating with the world health body about the seating arrangements and name cards for Yeh’s 15-member delegation.



2009年4月22日水曜日

3か月

ひとつまた課題が終わりました。
気づけば帰国までは3か月を切り、先々の見通しを立てつつ、課題や試験に向かう日々。

4月初旬はちょっとした非日常。春めくパリの町を(食べ)歩き、エンゲル係数が著しく上昇。一足早い春休みでしたが、人間、こういう時間が必要だなぁとつくづく思いました。Rue du bacにある、au nom de la roseに胸を打たれる。これで計4万キロ弱移動したことになるでしょうか。感謝。


イースター休暇で向かった先は、ブルターニュにある友人の実家。シアンスポの子2人と、ソウル大学の子が1人。久々に海を眺め、磯の香りに触れ、そして夜な夜な4人で韓国ドラマを見る。クレープを食べ、シードルに酔い、そして4人で真剣に韓国ドラマを見る。展開の早さと超難解な感情の機微が人気の秘密なのでしょうか。みんなが寝静まった後、少しずつ日本から持ってきてもらった『外交の力』を読む。どの道を進むにせよ、何度も読み返す本になることでしょう。





ひとつ気になった記事。
やっぱり就任されるんですね。

駐日米大使:ナイ氏が就任へ 夏ごろ着任の見通し

 次期駐日米大使に元国防次官補でハーバード大学教授のジョセフ・ナイ氏(72)の就任が固まった。日本政府高官が17日、明らかにした。ナイ氏は 日米同盟強化に取り組んできた知日派として知られ、オバマ政権の日本重視の姿勢が表れた人事といえる。着任は夏ごろになる見通し。

 政府高官によると、1月のオバマ政権発足前に駐日大使の有力候補としてナイ氏が浮上したが、その後、複数の候補者との調整が進められていたという。

 ナイ氏はクリントン政権で国防次官補を務め、冷戦後の日米安全保障体制を強化する「再定義」を推進。00年と07年の2回、アーミテージ元国務副 長官(共和党)らと超党派で対日政策の包括的な戦略文書「アーミテージ・ナイ・リポート」をまとめ、安全保障面の役割分担を日本に促してきた。ナイ氏の駐 日大使就任後はアフガニスタン政策などで一層の協力を求められそうだ。

(毎日新聞 2009年4月18日 東京朝刊)


コヘイン、ナイのPower and Interdependenceを二年生の冬に読み、同じ著作をシアンスポの発表で扱い・・・。国際政治を少しでも齧っていると、この人事の大きさが身にしみるのかな。どんな日米関係になるのでしょうか。
そういえば今日は、アメリカはフランスと比べて国内における外交政策決定プロセス上のアクターが多様だという授業でした。ペンタゴン、国務省をはじめとする各省庁、national security council、そして世論。(そしてAllisonのEssence of Decisionが紹介される・・・確か駒場祭をまたいで100ページ読まされましたね・・・キューバ危機・・・正直もう忘れました
apolaireとすら形容される国際関係の様相。その中で日本は、いかに大局的な視点から自らを位置付け、日米関係を構築してゆくのでしょうか。

と、とりとめもなく書いてしまいましたが、次の課題は「地図」づくり。合衆国と、その他の国々との関係性を自分が設定した問題意識のもと、1枚の地図に表わし、いくつかの視点から解説するというもの。
今日はそのプランを考えていたらこんな時間に。

ということで、しょうもないことを書き散らしたところで、おやすみなさい(・(ェ)・)ノシ

2009年3月20日金曜日

そして今日も

Sciences-Po Paris évacué et fermé

Cécile Beaulieu | 19.03.2009, 19h12 | Mise à jour : 19h13

Sciences-Po, le prestigieux Institut d'études politiques (IEP) de la rue Saint-Guillaume, à Paris (VIIe), a été évacué et fermé jeudi vers 17 heures. Une mesure de précaution prise par la direction de l'établissement, assistée par les forces de police, après un mystérieux coup de téléphone d'une personne se revendiquant d'un groupe anarchiste qui menaçait d'occuper l'école.L'ensemble des sites appartenant à Sciences-Po dans la capitale, ont été fermés et placés sous la surveillance des CRS. Mardi dernier, quelque 200 étudiants de diverses universités de Paris et de banlieue, s'étaient introduits dans le grand amphithéâtre de l'IEP pour s'élever contre «un symbole du système élitiste et hiérarchique dans l'enseignement supérieur français», selon le syndicat SUD-Etudiant.






leparisien.fr

シアンスポの学生はやっぱり冷めているように思います。「こうしなきゃ政府に伝わらないけど・・・でも馬鹿馬鹿しい」・・・学生の温度差で制度的な亀裂ががさらに浮き彫りになっているような。CPE法案に対するデモの時もシアンスポは授業をやっていたようですね。

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先学期のゼミ、espace mondial(global space)の最終回に、

Soyez les acteurs dans l'espace mondial(世界空間のアクターであれ)

ゼミの先生がこう仰っていました。

この学校の生徒は、多かれ少なかれ、世界空間に影響を及ぼすような決定を下す立場に立つことでしょう。しかし、そのバックグラウンドはかなり均質なものだったりもします。(多様性を重視しはじめてはいるものの)

こうしたデモに対して、pour ou contre(for or against)か、と問われてもどっちつかずな立場のまま、一大スペクタクルを眺めていました。


2009年3月19日木曜日

ついに

ここにも来たか!



200 étudiants d'universités occupent Sciences-Po Paris

L'Institut d'études politiques (IEP) de Paris, ou Sciences-Po Paris, était occupé mardi en fin d'après-midi par quelque 200 étudiants. Ces derniers voulaient dénoncer les inégalités dans l'enseignement supérieur en France, selon un étudiant sur place et le syndicat Sud-Etudiant. "Quelque 200 étudiants d'universités franciliennes, Paris-I, Paris-III, Paris-X, Paris-VIII-Saint-Denis, Paris-XIII-Villetaneuse, de l'EHESS et de l'École normale supérieure occupent Sciences-Po depuis 16 h 45", affirmait un étudiant de Paris-VIII souhaitant rester anonyme.

"Un débat s'est instauré dans le grand amphithéâtre avec des étudiants de première année de Sciences-Po sur les inégalités dans l'enseignement supérieur entre les grandes écoles et les universités", assurait-il. "Vers 18 heures, neuf cars de police se sont déployés autour de l'IEP", ajoutait-il. Dans un communiqué, le syndicat Sud-Etudiant a lui aussi annoncé cette occupation du "symbole du système élitiste et hiérarchique dans l'enseignement supérieur français". "On veut nous enfermer dans des facultés qui tombent en ruine, alors nous nous enfermons dans l'école la plus riche."


Témoignage

Sciences-Po occupé : caricature de la "fabrique des élites"

C'était mardi. Alors que Sciences Po s'y préparait depuis plusieurs jours, « l'invasion » a finalement eu lieu. Pourtant, des contrôles stricts à l'entrée de l'établissement avaient été instaurés sur injonction du directeur Richard Descoings, qui en avait profité pour engager des vigiles d'une société privée.

Malgré ce dispositif visant à éviter la prise d'une proie symbolique et facile d'accès pour le mouvement des enseignants-chercheurs, une brèche fut finalement ouverte de l'intérieur et une trentaine d'enseignants et d'étudiants universitaires réussirent à entrer dans l'institution peu après 17h00.

Provenant en majorité d'universités parisiennes, c'est dans un certain calme qu'ils déployèrent dans le hall une bannière demandant la dissolution de « tous les IEP ». Après avoir assuré le spectacle devant des étudiants en majorité amusés (mais pas tous, comme le montre la vidéo ci-dessous), les universitaires se dirigèrent vers l'amphithéâtre principal afin d'y empêcher la tenue du cours d'Olivier Duhamel sur les institutions politiques.

Prenant place sur l'estrade et refusant les propositions de médiation du professeur et de l'administration, leur tentative d'amorcer une assemblée générale entraîna le départ de la majorité des étudiants et une première vague de quolibets.

Dans une ambiance moins décontractée qu'au départ, une tentative de « cours alternatif » fut vite avortée et les étudiants de Sciences Po progressivement évacués d'un batîment désormais bloqué.

Les journalistes se massaient en même temps que les gendarmes mobiles aux portes du 27 rue Saint Guillaume et le coup semblait réussi pour des universitaires qui venaient de s'offrir une vitrine médiatique.

« Elitistes », « fils de bourges », « consanguins »...

Si factuellement il ne ressort rien de bien passionnant de ce « non-événement », dont le bilan se réduit à une cheville foulée pour le responsable associatif de Sciences Po et à une évacuation dans le calme vers 20h30, il n'en reste pas moins que cette journée fut l'occasion de faire l'amère (re)découverte d'un fossé (symbolique ou réel) entre le monde universitaire et Sciences Po.

En effet, et si aucun dégât matériel n'a pu être constaté, ni aucune violence physique exercée, le climat entre universitaires et « pipoteurs » n'en fut pas moins tendu, et les préjugés firent constamment barrière au débat.

Les minorités en profitèrent rapidement et aux arrachages de banderoles par des militants UNI en trench et chemise répondirent des doigts d'honneur, tags divers de la part d'autonomes bière à la main : l'affrontement sombra vite dans la caricature.

Ainsi, les manifestants profitèrent des réactions disproportionnées de certains étudiants de Sciences Po pour reprendre les traditionnels reproches effectués à l'institution (« élitistes », « fils de bourges », « consanguins »...).

« Cac 40 Cac 40 », « On payera votre RMI », « Dégagez-les, chargez-les »

Une majorité des étudiants de Sciences-Po qui étaient restés dehors, dans l'attente d'une hypothétique réouverture, commença à scander des slogans à l'élitisme aussi caricatural qu'assumé. De l'inoffensif et potache « Cac 40 Cac 40 » au plus douteux « On payera votre RMI » en passant par un « Dégagez-les, chargez-les » adressé aux forces de l'ordre, la violence verbale dépassa très vite l'autodérision initiale, certains n'hésitant pas à dépasser la ligne jaune.

C'est alors un mépris très majoritaire et clairement assumé qu'afficha la majorité des étudiants de Sciences Po non seulement vis-à-vis des personnes présentes, mais aussi du mouvement contestataire dans son ensemble. Les étudiants ne sortirent pas grandis d'une dérive qui les amena à applaudir l'arrivée des forces de l'ordre.

S'il faut se demander à quel point ces propos sont représentatifs, il n'en reste pas moins que les statuts allant d'un gentille condescendance à un franc mépris (« please, c'est donner trop de crédit à des conneries mal rasées et pas lavées... ») en passant par un je m'en foutisme exaspéré (« on aurait pu les dégager plus tôt, je vais encore avoir un rattrapage à 8h00... ») ont été légion, sans que ne soit véritablement abordée à aucun moment la question du mouvement universitaire et des potentielles conséquences des mesures prises par Pécresse et Darcos.

Un vase clos ?

Profiter d'un événement certainement contestable mais à la portée politique indubitable pour saisir la balle au bond et se poser des questions de fond, plutôt que de s'attarder avec une frivolité assumée mais non moins dérangeante sur le physique et les habits d'enseignants et étudiants qui n'ont fait que tenter d'apporter un nouveau coup de projecteur à leurs revendications en « envahissant » ce qui reste pour eux un palais inaccessible et symbole d'un élitisme égoïste et décomplexé, aurait permis tant aux étudiants qu'à l'administration de Sciences Po de continuer à se défaire des préjugés que se fait une grande partie de la communauté universitaire sur les IEP. Ce sera pour une autre fois.

Cela veut-il dire que Sciences Po ne serait qu'un vase clos, alors même que tous les médias s'empressent de vanter les politiques d'ouverture de son directeur Richard Descoings, lui même issu d'un milieu modeste ? Sans qu'il soit ici question de trancher sur cette question, la réaction de toute une tranche des Sciencespotards lors de cette occupation remet en cause bien des espoirs que l'on était en droit de fonder sur l'évolution de cette « fabrique des élites ».


今日はふっと体の力が抜けてしまって眠いので、この件についてはまた今度。

教育制度改革反対の波はやはりグランゼコールを看過するはずもなく。でも私の周りのフランス人および留学生の子は、一連の反対運動をかなり冷めた目で見てる気がします。

というか、デュアメル先生の一節、なんかうけてしまったw


追記:下らないですが、facebookのグループです。共感する方はぜひぜひ!

Ceux qui pensent que les portes de Sciences Po sont trop lourdes!!

(シアンスポの(正面玄関の)ドアがあまりに重すぎると思う人)

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いつも成長し続けられる子であれたらいいなと思う春先です。


2009年3月16日月曜日

Elles sont toujours là

日本語で「何歳?」と聞かれると「22歳です。」と正答できるものの、フランス語で「何歳?」と聞かれると、ついつい「21歳です^^」と若ぶってしまうここ最近ですが、みなさんお元気でしょうか。


留学生活とは関係ありませんが・・・母校について少しだけ。

年末、そしてこの時期、パリで何人かの幼稚園・小・中・高の友人に会う機会に恵まれている。
私が通っていたエスカレーター式の幼稚園~高校は、なんとなく似たバックグラウンドの人が集い、外界と隔てられ、自由奔放な温室みたいな場所でした。悪くいえば視野が狭くなりやすいのですが(9.11の翌日に、1ミリもテロの話題が出なかったことに驚愕をしたりもしたのですが)、誠実さやポジティブさ、思いやりに溢れた人が多かったように思います。そして、やはり同じ根っこを持つ友人を多数持てるということは大きな財産だなと痛感する最近です。何年ぶりかに会った友人でも、その空白がなかったかのように安心して話ができる。そして、女子部の子は、アプローチは違えども、一人ひとりが自分なりの精緻に積み上げられた思想を持って行動していて。久しぶりに会ってはっとさせられることがしばしばでした。とてもとてもきれいなものに触れた気がして、幸せに思ったりしました。彼女たちに会うと、人生は短いけれど美しい、そう思えるのです。

他の人から見たらなんとも甘っちょろい環境かもしれないけれど、とても幸せで、人間の明るい面がいかにすばらしいかを見せてくれて、何も疑わずに何かを信じて前に進んでいける、そんな環境であった幼稚園・小・中・高に、そして私をそんな環境に居させてくれた両親にとても感謝している今日この頃です。いい意味でも悪い意味でも、自分の根っこに性善説のような何かがあることを、なんとなく感じるかな。みんなはどうなんでしょう。

もちろん、一定の環境にいたからこそ欠けていた視点がたくさんあるわけで、この4年間でそれを補填できたのかな。と自問自答してみたり。

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今日は学校の後、Pont Neufの下にある公園のベンチで、小学校からの友人と話をしていた。
私が感情を理性で整理しているという点を指摘されて、第二の母と崇めている中高の恩師の言葉を思い出した。

私の話を聞いて、潔癖ねー、と相槌を打ち、
「感情的なものなんて、きちんと整理できるわけないじゃない?
 自分の部屋みたいに、ばらばらに散らかしておけばいいのよ。
 なるようになるから。」
と師は仰ったのでした。
そのアドバイスに従って得ることができたものに、私はとても感謝しています。

でもなんとなくバイオリズムが落ちている最近、やっぱり感情をしっかりと理性で縛り上げて、来るプレゼン第一号の準備をしようと、そう思う最近です。パリでは春が区切りになることはないけれど、日本人の私は、春ゆえにさまざまな節目を思い返してちくちくする塊をおなかに抱え込んだような気持ちになることがたまにあるかな。

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それにしても春ですね。
最近はまっさらな青空が増え、日も長くなり、柳が美しく川に垂れ、木々の芽が膨らみ、
春はあまり好きではないけど、パリの春には大きな期待を寄せています。
4月には公園の花も咲き乱れているのでしょうか、楽しみ^^

なんだかぼんやりしたエントリーですね。
それも春ゆえ、ということで・・・

2009年3月7日土曜日

Actualités!!!

転居しました。
7区の、アンヴァリッドとエッフェル塔の側のステュディオで名実ともに一人暮らしです。
なんだか眠れないので、リカバリを行って真っ白になったPCに向かっています笑

しっかりとフランスの新聞の読み比べをしようと思う今日この頃。
今まではle mondeやfigaroはネットで見ていたけど、やっぱりネットだと限界があって・・・。広い視野で現在進行形の事象を把握するためには、一見興味がないこともふと目に飛び込んでくる紙面がいいのかなと思う最近。検索機能の限界はここにあるのでは。あとle mondeはネットだと最近の記事しか見れないしね。(シアンスポの広大なデータベースもありますが笑)

ざっと見ると、今はアフリカ・中東関連のニュースが多いかな。ルモンドに大々的にCPIのニュースが出ていたのですが、すっかり国際法が頭から抜け落ちてることに危機感を覚えました。コンゴ共和国の外務大臣に逮捕状が出された判例を思い出したのだけど、よくよく考えたらそれはベルギーの裁判所の話だった・・・orz(コンゴに関しては別件でICCで公判が進行中らしいけど)
フィガロ経済版の一面は、ドイツの多国籍企業Siemensがロシアの国営原子力グループRosatomと新しく原子力分野におけるジョイントベンチャーを設立する旨の声明を行い、それがフランスの最大手原子力企業との摩擦につながっているという記事。私はこのあたり1ミリもよくわかってないのですが、ENPの授業でさんざんエネルギー政策が今後の欧州政治のハブだということは嫌というほど認識したので情勢を追わないと。。


机が大きくなって、嬉しくなって新聞を広げまくって、辞書を駆使しつつ、コーヒーを飲んでいたら朝の5時に。
そろそろ寝よう。
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非常にどうでもいい話ですが、私の父はかなり癒し系です。そういえば、中学の時、みんなに純と呼ばれて親しまれていたのを思い出したw

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これは一見悲しい歌に聞こえなくもないですが、He's just not that into youという映画で一番最後の一番素敵なシーンと、

"And if you have a minute why don't we go
Talk about it somewhere only we know?
This could be the end of everything.
So why don't we go, so why don't we go."

という歌詞がシンクロして、おお、と思いました^^

フランスでは、Ce que pensent les hommesという題名。
これ、今日、もう一度見に行きます◎

2009年2月27日金曜日

さて、

不況だけれど、妙にこざっぱりしてみんなフレンドリーなアメリカでゆっくり過ごした後、課題の降り注ぐパリにもどってまいりました。
それにしても、ワシントンDCの中心部は非常に美しかった。

今日は、"international security"の概念を、事例を引きながら検討してゆく授業の第1回目。
国際的な脅威とは何か。
国際的な脅威の被害者は誰か。
安全保障の成果=平和か。
安全保障念をリアリズム的概念にとどめるべきか。
などとの問いかけから始まったこの授業。

京論壇での安全保障分科会の準備段階なんかは、特にsecurityの概念のすれ違いが如実だったな、脅威の源泉そのものも違ったんだっけと思いを巡らせつつ、割り当てられた発表は、environmental security。1. Can we meaningfully talk about environmental security? In what ways, if any, does environmental degradation undermine international security? 2. What is the relationship between environment, population and security?という問いかけがなされているこのセッション。先日読ませて頂いたチャレンジングな卒論を想起させられました。

今週は、色んな要素が頭の中でシナジーを起こす感覚を久し振りに味わった気がします。

今学期も、かなりやることが多いですが、そして机上の勉強に焦るお年頃になってまいりましたが、浮足立たずに目の前にある材料を使って、しっかり基礎固めをしてゆきたいと思います。

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関係ないですが、G7関連の報道、なんだか本当に残念です。
事実というより、むしろ報道の仕方が残念です。

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以上、明日までにスーツケース二個、段ボール二箱に部屋中のものをいっさいがっさい詰めて、お風呂とトイレとシンクと床の掃除をしなければならないという現実からの逃避でした。
引っ越しって大変。
何がいま一番怖いって、ネットから一定期間遮断されることです。
心身共に健康になれるという話もありますが・・・やっぱり怖いです笑

2009年2月6日金曜日

Les vacances aux États-Unis

って響き、ちょっと変ですねw
アメリカとvacanceという言葉はなんとなく相容れない。
日の当たるリビングにて。


9日に4時間半の試験を終え、お土産を買い、パッキングをし(寝坊しかけながらも)なんとかアメリカ東海岸に到着しました。9日夜からパリ近郊に嵐が到来し、空港のホームページを見ると「9日20時~10日10時まで全ての便は欠航です」とのアナウンスがあり、10日13時過ぎの便に乗る予定だった私は戦々恐々でしたが・・・・・がら空きの飛行機で、席を3つ使って横になって考え事をしたり、映画を100近くのラインナップから選んで鑑賞し、本を2冊読み、(多分クルーのミスで)ちょっとよい食事が出てきたり、非常に快適な空の旅でした。費用対効果が良い。

映画は、ずっと見たかったDear Frankieと、どうしても見返したかったLost in Translationを選択。

Dear Frankieはまさにスコットランドの海岸線を真下に見ながらの鑑賞。

Lost in Translationは、前回見た時は「異国」としての日本のとらえ方に対してちょっと反感を覚えたけれど、今なら彼らの立ち位置がなんとなく理解できるかな。自分が異質であるという認識。ホテルの部屋で半泣きで電話をかける子の気持ち、今回はそっちに寄り添ってみてたかな。ちなみに、ジェンダー論の先生は、「高学歴の女性が家庭に入った後、夫の出張に同行して東京に来て、完全に暇になる」という要素に着目してらっしゃいました。

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飛行機の中で、死ぬまでにどうしても成し遂げたいことを考える。
すごく当たり前な3つまで絞ることはできるけど、それ以上は無理。
不器用な私が全部できるか甚だ疑問ですが、3つ揃って、幸せだといえるのでしょう。
人間は欲張りなものです。

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試験勉強をしているときに、自分から進んで選んだ「ディシプリンの無さ」に初めて怖さを感じた。

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1つ年下の従妹が、facebookに書いていた今流行りの25 things about meが彼女らしくて素敵だったから勝手に抜粋w
世の中の前向きで明るい部分を凝縮してできたような彼女とは、今週末に会えそうです:-)

2. I like sending out handwritten letters and cards in the mail because it is, and always will be, so much better than receiving an email.

3. I used to hate valentine’s day but bitterness gets you nowhere – it’s a great excuse to tell people you love them, whoever it might be.

16. I have a lot of faith in the people around me. Sometimes I get hurt because of it, but that’s just the way I am.

17. I have a hard time memorizing lyrics, let alone catching them. For example, I thought they were saying “its too late to call me jon” instead of “its too late to apologize.” Yea.. I still don’t know how I could’ve heard that but I mustve been pretty convinced because I even typed it into google to find the song.

18. My entire extended family lives in Japan, and I wish every day that they lived closer. But the fact that we’re so far away makes us value our time together.

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月曜日にやっと送れたEMSを追跡してみた。
月曜の夜中にはシャルルドゴール空港につき、順調かと思われたのですが、

mar 10/02/200901:51 Difficulté rencontrée
Statut de l'envoi:Envoi arrivé avec retard
!!!!!

2月10日1:51: 問題発生
郵便物の状態:遅延

orz

今またチェックしてみたら、
どうやらまだベルギーにいらっしゃるようです。

orz

届きますように。
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明日は台湾で知り会った友人に会えることに。
あれから1年が経とうとしてるなんて信じられない。

2009年1月31日土曜日

Révision

です。

試験前の復習期間、という感じでしょうか。
めっきり家だと集中できないので、最近はシアンスポで勉強していたり。
今日は家で引きこもり気味になって、ピーマンを食べたりしてましたが・・・



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もう一つのRévisionの話。内輪です。

最近、出版企画の報告書作成がメール上で行われていて、遠隔地からちょっと参加させていただいています。夕方、久し振りに本を開いてみました。(日本から送ってもらい、2か月かけて到着しました。成田の職員、変なステッカー貼らないでほしかった。そしてフランス郵政怠慢!!)

私の昨年の3月~7月という期間は結構この企画に費やされていて、当時聴いてた曲を再生すると本郷の朝方の風景とか、雨の本郷の木の匂いとかを唐突に思い出したりする。あとスタバとか。とりあえず本郷づくしでした笑(個人的には塀を乗り越えたのが楽しかった) 留学を控えていたりでいろいろな思いを抱えながら作業をしていたなと、周りにいた人たちのお陰でとても濃い期間になったな、としみじみ思う最近です。

けれども、ゆっくり本ができるまでのプロセスを見直す時間が取れず、ちょっと心残りだったりもしました。反省点とか、人の言葉に触発されて生まれかけていた考え方とか、なんとなく指の間からすべり落ちて行ってしまいそうで残念。なので、報告書を作る過程で、少しでも反省を自分の中に取り込んでいきたいと思うのです。

ipodでシャッフルにしていると、出版の音声議事録が出てきたりするww
料理をしながら耳を傾けていると、理路整然とした日本語のやりとりになんだか聞きほれてしまう。そして、ひとりひとりが議論の中でオリジナルで価値ある観点を提供していて、そしてどこまでも真剣に語り合える場があって。その場所の中でシナジーが生まれているなというのを感じる。
どういう人がリーダー足りうるべきか、という独白はとても印象的。自省の念に駆られました。
noblesse obligeという言葉を嫌味なく彷彿とさせられ、思いをめぐらす明け方です。
そういえば、この先輩は、飲み会の時、ヴィクトール・フランクルの言葉を引いてお仕事について語っていらしたと思います。当たり前のことができない私は、やはり反省させられました。(そういえばフランクルはウィーン出身でした。やっぱりあの町は良かった^^)


考えがまとまりそうだったのに支離滅裂になっているwやはり忘却プロセスは進みつつある。
出版に関しては、随時思ったことを書きとめていかないとなと思う最近です。
あと、フランス人のエリート意識にもちょっと切り込んでみたいと思いますw

そんな朝方。


よかったらお手にとって見てください。


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今日もピーマンを食べて、勉強したいと思います^^

2009年1月28日水曜日

La vie avec Kebab=Priceless

今、幸せを噛みしめています。

シアンスポからの帰り道。
いつもと違う道通ってみると・・・・


ケ バ ブ 屋 さ ん 発 見 


6・7区は変に気取った感じのお店しかなくて、ケバブ屋さんは2・3駅先のSt.Michelまで行かないと見つけられなかったのですが・・・SCPO人なら誰でも知ってる、Rue de Rennes にあった^^
夜10時も営業。
1つ5ユーロ。
ポテトなしなら4.5ユーロ。
陽気な移民のおじさん2名。


良い。
非 常 に 良 い。


おなかの調子が悪かったのですが、買って帰ってきてしまいました。
ちなみに一昨日の晩ごはんもケバブでした。(オルタナティブはあったのに一生懸命お店を探しました。)

女子失格。

そんなこんなで、私の生活に彩りを添えてくれるケバブです。
ジャンキーさちこはフランスでも健在です。

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どうしようもなさすぎるエントリーですが・・・
近況報告をすると・・・

1月初めは脱け殻のようになり風邪をひき、
試験やら課題の提出を終え、
最後のプレゼンが終わり、
今は、期末試験の自習期間。

前のエントリーにも書いた欧州近隣政策のプレゼン。
とにかく時間がない中で準備するのが大変で、一緒にやった子ともなかなか話し合う時間が取れず・・・そして話し合いの際、自分の英語が終了しかけていることに気付く。(フランス語と英語を混ぜた新しい単語を多数開発・・・inegalityとか堂々と使ってしまうww)
先生は某欧州近隣諸国、元外相。現野党党首。いつも厳しい評価を下すので、méchante, sévère, mean, bit*hなどなど、生徒からの悪評は途絶えなかった。叩かれるだろうなぁと思いつつ発表を終えると、意外にも彼女は"picky"ではなく、好感触。結論の書き方の欠点を指摘されるも、very originalと、独自性を認めてくれたのは素直に嬉しかった。

が、点数の付け方は非常にシビアなんですねw
シアンスポでは10/20が合格点なんですが、この先生は各課題で10点以下を連発。クラス騒然。
生徒の間では、「私はこの授業の評価に納得いかない。totally unjustifiedだから、シアンスポのアドミニストレーションに文句を言いに行く!」「賛成!」なんていうメールがまわっていたり・・・今日会ったフランス人のクラスメイトは、「一応、私パスしたけど、トータルの評価は11だったわ・・・」。。。
プレゼンのパートナーだった香港出身の子は、ブログで「魔鬼教授」と彼女を形容していたww

確かに、彼女の評価は辛いのですが、1ミリも下駄を履かせてない正直な評価なのでしょう。
もし、外交、もしくは国政の場(もしくはそのほかプロフェッショナルなシーンで)で私たちがしている程度のプレゼンをしたら、彼女が下したのと同様の評価が返ってくるはず。彼女が求めている程度のものが達成できなければ、少なくとも国際社会のアクターとしてefficientとは認められないんだな、と気づかされるよい機会でした。

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最近のBGMは90年代の安室奈美恵です。
仕草がかわいい^^

どうも埋め込みがうまくできないので↓
Sweet 19 blues(Live)

Can you celebrate?(Live)

Can you celebrate?2(Live)

You are the one

2009年1月20日火曜日

ありがとうございます/ Democratie/ Prévision

無事、22歳を迎えることができました。
パリでお祝いしてくださったみなさん、メッセージをくださったみなさん、電話越しに祝ってくださった方々、本当にありがとうございました。

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と、誕生日の喜びに浸る間もなく、最後の課題の波の只中。(毎年この時期そうだけど)
猫になりたい、が独り言ランキング第1位です。もちろん、せっかく留学の機会を頂いているので、猫以上にバリューのある何者かにはなりたいですw

今、とりかかっているのが、European Neighbourhood Policyという授業のプレゼン。
先生はとても厳しい女性で、シアンスポ出身の某欧州近隣諸国の要人。常に教室には緊張が走り・・・といった具合。
欧州近隣政策とは、2004年の東方拡大によって本格化された、EUの近隣諸国に対する外交政策。90年代半ばから枠組みが作られていた、地中海諸国とのパートナーシップもすべてこの近隣政策の枠組みに含められることに。この対外政策は、欧州が近隣諸国に対する「要塞」にならないように、EUの枠組みが「その他」との亀裂にならないように、EU地域と、近隣諸国地域における「繁栄」と「安定」を目指していて、多岐に渡る分野での取り組みが策定されている。
そのひとつとして、当該地域の民主化、というのも挙げられているのですが・・・

前回の授業で、トルコからの留学生がその点に疑義を投げかけていました。
「必ずしも近隣諸国にとって民主化が必要なのか、極論を言えばgood governanceは専制主義や寡頭制の中でもなされ得るものでは?」
教室を見渡してみれば、圧倒的に多いEU加盟国の学生。よくよく考えてみれば、今までの授業内での応酬はEUの利益という切り口からなされることが多かったように思う。そんな中、彼の指摘は、自明の原則として捉えられていたEU的価値観に切り込む、という意味で有意義だったように思います。(ただ、かなり唐突で、文脈的に重箱の隅をつつく感はあったけどww)
ENPは正当化できるか、という課題を今やっているけれど、きっと誰にとって正当なのか、視点を変えてみるだけでもずいぶん違うんだろうな、と思い悩む最近です。

民主主義といえば、よく、日本の自民党について尋ねられ、冗談まじりに「それって本当に民主主義なの?選挙の仕組みは狭義の民主主義でも、一党独裁みたいww」と言われるのですが・・・ その話はまた今度。

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2月に、冬休み(その2)が2週間ほど。
色々行先を考えました。

ヨーロッパやフランス国内は週末など使って旅行するチャンスがまだあるはず。

日本には、親から、暗に「帰ってこなくていい」と言われました笑 あと、ちょっとゆっくりできなさそうかな、と。年末年始に「日本がフランスにやってきた」ので、もし留学期間内に帰国するとしたら、自分の中で「日本」の希少価値が高まり、航空券も安い4月くらいにしようかとw

で、大西洋を越えて、アメリカに行こうと考えつきました^^
NY行きのかなり安い直行便を見つけたことと、2年ぶりに従兄妹宅にお邪魔できること、大好きな叔母の休暇とかぶることが決め手になりました。
私にとって、従兄妹たちは遠くにいながら、とても身近な存在。むしろ、遠くにいるからこそ培われた緊密性があるのかもしれない、と思うくらい。ここ数年は、日本の家族には言えないことも、いとこ同士でシェアするようになり、本当にextended familyなのだなと実感することばかり。
エネルギー溢れる叔父は、今は仕事の都合で西海岸にいるけれど、リラックス系の叔母とたくさん話せるかもしれないし、100回くらい彼女の得意技「お茶にしましょう」が聞けるかもしれない・・・
生活拠点が違う以上、叔母と語れるチャンスってもうなかなか取れないかもしれないという直感があって、今話したいこと聞きたいことがあるという事実があって・・・
ということで、もう一つの里帰りをするかもしれません。

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以上、現実逃避でした^^
欧州近隣政策に戻ります。

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卒論終わった人、本当にお疲れ様です。フランス科の審査はこれからかな?

これから出す人、力強く応援してます。

2009年1月16日金曜日

風邪ひき、そして追い込み

何を今さら、という感じですが、年末年始はとっても心に残る時間でした。
アジアの授業の先生に、「休み中は日本に帰るの?」と聞かれた時、隣に座ってた友達がすかさず口を挟んでこう言いました。

Non, le Japon va venir en France!!(いいえ、日本がフランスに来るんです!!)

思わず笑ってしまいましたが、確かにww
ということで、とてもリラックスできたお休みでした。
ウィーンに電車で14時間かけて行ってみたり(ウィーンの街は明るくてさっぱりしていて、最高だった!)、パリでたらんと過ごしたり、祖母と母と怒涛の(?)ホテル滞在をしたり。

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が、母と祖母が帰国した後、異国の地に取り残されるさみしさを感じる間もなく、体調が下り坂に・・・・・orzやっと今、食欲が回復しつつあります。
そして履修登録をめぐって、シアンスポと対峙するというタスク、及び、残りのプレゼンやレポートとの戦いが残っています。それさえ終われば、わりと自由になる時間は多いかな。出そうと思って出せなかったポストカードを出したい、そして院試の問題にも目を通したいww

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そして、3月初めに引っ越せそうな予感がしています。道を一本隔てた7区に。
ということで、夏物をスーツケースに詰めてしまおう、と画策中。
ただ、ネットの申し子の私にとって、3月頭にネットが不通になるのはちょっと痛い。

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どうーしてもいい点数をくれない先生のゼミに属しているのですが、この前カナダの子と二人でやった課題が高く評価されて、ちょっと救われた気分。
彼女の語学力に助けられた部分もあったけど、よいアイデアを出せたという自負もあるし、先生もその部分をかなり評価してくれていた。シアンスポに来て、初めて、お世辞じゃなくて本物のTBをもらえたかな。

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ということで、引き続きレポートを。

2009年1月7日水曜日

Bonne Année

明けましておめでとうございます。
昨年中は大変お世話になりました。どうぞ今年もよろしくお願い致します。

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昨年を振り返ると、良くも悪くも、いつも大きな流れの中にいたように思う。
どれも自分一人では決して起こせなかった大きな流れで、幸運にも素敵な結果を幾つも得ることができたと自信を持って言える。色々なめぐり合わせや、幸運に感謝をした一年間でした。

けれども私は、どんどんと進んでゆく事象の波の中で、ただただもがくことしかできず、もちろんそこにも大きな意味があったのだろうけれど、自分自身でしっかりと方向を定めて、そこに向かってきっちりと進んでゆくことができなかったことを正直後悔している。自分なりに積み重ねてきたつもりだったけど惰性が出てしまったり、なんとなくアンテナが鈍ってしまったり、機動力に欠けていたかなと思うことも多々。

成し遂げたいこと、欲しいもの、与えたいものがたくさんある以上、私はもっと精緻で先見性のある思考力を持たなければいけないし、好奇心を忘れてはならないし、日々の小さな事柄にもっと真剣に向き合わなきゃいけない。
決して足を止めず、目を凝らして、今置かれている環境から最大限のことを学びとり、できればこの環境に何かを残すことが目下の課題。

次なるチャンスをしっかりと掴み取れるように。
そして誰かを幸せにできる力を持てるように。
素敵な流れを自分で作れる人間であれるように。

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今年もよろしくお願いいたします。