2011年1月8日土曜日

静かに行く者は

静かに行く者は健やかに行く、
健やかに行く者は遠くまで行く
・・・という言葉の一端を見た気がする本日の備忘録。
静かにひとつひとつ積み重ねた結果を見ることができて、嬉しく、身の引き締まる思いです。

私はと言えば、昨年一年は自分のベクトルがあまりに発散しすぎていて、今そのintegrationに腐心している段。発散しただけ方向を揃えるのに苦労するのは明白ですが、インターン先の上司が仰っていた「『integrityがある人』と言われるのがこの職業での最高の賛辞」という言葉を脳裏に焼きつけながら、えいやっと起き上がらないと。

幸せ、かつ頭の細胞が奮いおこされるような、そんな今日の夜でした。


2011年1月3日月曜日

2011年1月

単純なもので、新年になった瞬間に清新なものが心になだれ込んでくる感覚に陥りました。


発信することにためらいを感じていた昨年ですが、今年は近況報告も兼ねて少しずつ公の言論空間でも考えをまとめていければ、と思います。(といってもメモみたいな感じですが。)意義を理解してから走り出すのではなく、走りつつ理解できれば。


絶え間なく重ね続けることができる一年でありますように。


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お正月は普段会えない親戚・幼馴染と再会。

・モザンビーク沖で鱶が濫獲されている(しかも鰭のみ切り取って身を海に捨ててしまう!)、という問題が提起されたため、食卓に鱶鰭が乗ることはありませんでした。お姉さんは2月にモザンビークを離れ、Guinea bissauに赴任されるそう。

・俳優業を志す親戚が、「下駄を与えられたときに履きこなす才能」について話していたのが心に残る。

・いつもは会えない従妹と海沿いを散歩をしたり、家で談笑したり、二人でただただ読書をしたり。従妹+家族でバカをやったり。遠く離れてても素敵な繋がりだなぁといつも思います。

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本日から戦闘態勢に入ります:)

2009年11月22日日曜日

風車

今日はフランスから留学してきている友人に、卒論の記述を直してもらう。
次回会うときまでに3章を書かないと・・・(2章をスキップしているのですが:()


卒論真っ盛りですが・・・最近、以前友達のお姉さんが薦めてくれた『落日燃ゆ』を読んでいたりします。あまり史実に沿った小説を読んだことがなかったのですが、とても興味深く、日本史嫌いだった私にとって良い復習の材料になっていたりします。高校の時の日本史の授業で、(本願寺というあだなの)先生の「結局開戦に踏み切った時の政策決定過程は混とんとしていて、誰に主な責任があるかってはっきり言えないんだよねー。御前会議でも、天皇に最高権限があるとされつつも、最終決定までの流れはとても不明瞭。」という発言を受けて、「え、先生、それってどういうことですかー?」「それっておかしくないですかー?」とクラス中から質問の嵐だったのを思い出したり・・・笑 城山さんの本では、あまり天皇に関する記述はなく、軍部対外務省(+内閣・御前会議・世論)の図式で当時の意思決定過程が説明されていて、勉強になりました。
広田弘毅像が風車に例えられているのですが、飄々、淡々と物事を静観する姿勢はちょっといいかな、と思ったり。あと、日本史で死ぬほど出てきた幣原喜重郎が、よくも悪くも「優等生的外交官」されていたのが印象的。
今年の3月にドラマをやってたみたいですね。


今週は、パフォーマンス色の強い事業仕分け第二弾を見学しに行ければいいなぁ、と思いつつ・・

気づけばこんな時間に。
お風呂に入って寝よう。

2009年10月29日木曜日

眠れない夜に

昨日はあまり寝ず、民法で意識を失ったw 
今日はたくさん晩御飯を食べて、重い荷物を抱えて、傍若無人なかんじで眠気に倒れそうになりながら家に着き、10時半くらいにはベッドに入るものの・・・・・また覚醒してしまった。


最近もやもやしている、というウィーン在住の天体物理学者?の卵と話していて、お互いそういう年齢なんだなぁと思う。一緒に夏を過ごした16歳くらいの時とか、今より明らかに能力が劣っていたけれど、とにかくどこまでも遠くに行ける自信があった。そんな懐古的な思考回路になってしまった夜中です。

余談ですが、彼女は16の時から「私は天文学をやりたい」と言っていて。何年かぶりに連絡を取り始めたとき、彼女が天文学の学士号を取り終わったとの近況報告を聞いてものすごく嬉しかったな。

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異論があるかもしれないけれど・・・・
シアンスポでは、「多様なバックグラウンドを持つ人の中にいた」ようでいて、実はそうでもなかったのかもしれないと思う。政治科学系のグランゼコールであるゆえに、学生たちのアカデミックな言語や物差しは、意外と万国共通だったりする。海外からの留学生も、同じ学問体系を身に付けた上でシアンスポにやってくる。例えばみんな同じIRの本を読んだことがあったり、みんなle MondeやEconomistから情報を得ていたり、ゆえにちょっと言葉足らずでも容易に相手の言わんとしていることが想定できたり。
Political Scienceという枠組みの中での高みをまざまざと見せつけられたし、同じ学問的共通言語を持った人たちと触れると脳内に電波が走るような感覚がしたりもしたけど、良くも悪くもひとつの価値体系の中にいたのだな、と思う。(それが西洋的学問体系、と言えるのかどうかはわからないけど、トルコの学生やインドの学生はこうした価値体系からはちょっと浮いていたように思える。まさに、多様性を提供していたのでしょう。)

同様の「前提」を持つ集団の中で、なんとなく皆が向かう方向が似ていて、そこにちょっと安心したりもしていた。というか、随分そこに浸かってしまったかなぁとも思う。自己正当化しやすい環境ではあったかな(ある先生に至っては、君は将来外交官になりたいんだね、そうなんだね、とか催眠術をかけるように繰り返し言うしwとてもいい先生でしたが。)



東京では、「前提」が違う人たちと会う機会が意外と多いなと思う。
だからこそ、心地よい刺激を受けつつも、自分がぐらぐら揺れるし、違う尺度や異なるツールが欲しくなる。羨ましくなって真似したくなるんだな。いつも援用する「できないからやってみよう」ロジックを使いたくなってしまう。挙句の果てに、指導教官には、「そのロジックで行動することで結局何もできずに中途半端、と思ってしまうかもしれないけど、自分の強い部分は伸びてるんじゃないかな」と慰められるw

いろんな「前提」に浸かったり晒されたりするけれど、一度0ベースに戻したいこの頃。
16歳の夏には、自分がどうしたら一番価値を発揮できるか、わかっていた気がするな。

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と言いつつ、実務面では進めなければいけない側面もあって、去年の今頃かけられたD先生の催眠冷めやらぬ私は、いそいそと説明会へ向かうのです。D先生最強。

ちなみに、D先生から生徒へのメッセージ。
Parlez bien
Voyagez beaucoup
Parlez trois langues etrangeres

巧みに話せ
大いに旅せよ
3つの外国語を使いこなせ

2009年10月15日木曜日

「良かった」の中身

友達の素敵な日記を読んで、少し書きたくなりました。

結局、私にとっての留学とは何だったのか。

「どうだったの?」と聞かれて、「行ってよかった」「~~を勉強できた」とか、結構紋切型の答えを重ねてきましたが、1年の月日はそうした感想に収まりきるわけはなく。誰かに話したかもしれませんが、パリ政治学院への留学は、成功体験だけではなく、多くの挫折体験からも成っているわけです。なので、決して美化してはいけないな、と常々自分に言い聞かせています。成功体験だけを抽出して、「本当に良かった」と幕を引いていいものか。

いつもでも楽しく、美しい街並みの中を意気揚揚と闊歩していたわけでなく、夜中に、考えごとをしながら、Pont des Artsを渡り、ルーブルの庭を抜け、Rivoli通り沿いを歩き、コンコルド広場からまた左岸へ戻り、それでも落ち着かなくていてもたってもいられなかったこともある。

現実は「良かった」という言葉で簡単に割り切れなくて、もっと混沌としていたかな。成功体験と思しきものが意味を持っているとは限らないし、日常の何気ない連続が後からはっとするような意味を持つこともある。なので、帰国後三か月たった今も、私はあの1年を咀嚼し続けているのです。きっとこの留学を評価できるようになるのは、あと5年、10年経ったときじゃないかな、と漠然と感じる。

あの1年での挫折体験というのは、私にとって大きな財産であることに最近気づかされる。悔しくて仕方なかったこと、全力を尽くしたけど道半ばで手が届かなかった部分、力を出し切れなかった側面、そうしたすべてが今の私を突き動かすモチベーションであり、課題である。これらを乗り越えられたときはじめて、去年1年は私にとって「良かった」と言える期間になるのでしょう。

もちろん、できるようになったことはほんの少しは可視化されたりしているかな、と思ったりする。
例えば去年の論文指導と比べて、明確に自分の思考を外国語でそこそこのロジックの下に表現できるようになったり、言葉のキャッチボールの中での自分の球数が格段と増えていたり。まあ当然といえば当然なのだろうけど、少し嬉しかったかな。

小さな前進を大切にしつつ、パリで過ごした期間を今に生かしていきたいな。

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以下、箇条書き的に

・鎌倉へ久し振りに行きました。
・中学校の時にお世話になった先生の個展に行ったり。T先生、とてもお元気そうでした。当時、しっかり向き合って指導してくださったのが印象的です。
・勉強会のタスクが出現したようです笑 ロシアかー・・・
・論文を進めなければ・・・
・今学期はアジア科の授業をいくつかとってみます。今までとる機会がなかったので。

ということで、明日も駒場。駒場も実は、残り少ない。

2009年10月3日土曜日

Grâce à vous tous...!

おやすみなさい、を言って寝ようとすると心がざわついて眠れない最近、変な夢をいっぱい見ます。今朝は夢の中で、「おばあちゃん、もう食べられないよ~」と言いつつ、ナスのみそ煮をたくさん食べておりました。私、大丈夫かな・・・w


それはさておき、表題どおり皆々様のお陰で、ひとまず進路が決まったように思います。今回は、本当に「御蔭様で」という言葉がぴったり。飄飄と一匹狼的に準備をすればいいものの・・・・・あの時の私はどこに行ってしまったのでしょう?と焦りつつ・・・・・ここ二ヵ月で結局一番苦労したことは、もしかしたら法律の文言や学説ではなく、自分自身との付き合い方だったのかもしれません。自分にどん引きすることもありつつ、新たな扱い辛い一面も、上手くコントロールしなきゃいけないですね。


今日は偶然、恵比寿駅の改札で、幼稚園の担任のT先生にばったり。1月生まれの「未発達」な私に手を焼きつつも、芯が一本通ってるから、と仰って下さった人。弟のことを話したりしつつ数分だけお話したけれど、とても懐かしかった。22歳になっても互いに認識できるなんて、ちょっとすごいかもしれない・・・もしかしたら私が5歳から変化ないだけかもしれないけど。。。22歳の私は、芯の通った人間に映ったのでしょうか。


その後、T先生率いる「藤組―梅組」の一員だった友達と会う。自分の根っこを知ってる人に会うと、とってもシンプルかつ素直なモチベーションが湧いてくるから不思議です。お揃いのシュシュを頂き、女子っぽくていいなぁと思ったり^^


夜は祖母に電話をして、要は、知恵と力と女子力を磨きなさい、と言われた。電話の最後に、「人生って複雑ね。ふふ。」と言われた。すべてを乗り越えてきた人のことばは重い。


また眠くなってきた気がするので、布団に入ってみようかな。
助けてくれた人たちのお陰で、新しいスタートラインに立つチャンスが得られたことを感謝しつつ・・・
ここ10月、11月が勝負どころかな。

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「駒場の安全保障ってどうなの?」
という質問は、ちょっと無茶ぶりなんじゃないか、
・・・と、未だに思うのですが、どうなんでしょう笑

2009年9月27日日曜日

2007/06/22

2年前の深夜、初代京論壇ブログに、自分がこんな投稿をしているのを見つけました。

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安全保障分科会のテーマ決めに際して、
日中双方が関心を寄せているテーマとして、
Taiwan Strait Issueが挙がっている。
果たして、安全保障というがっちりとした文脈の中で、
どれ程深められるテーマなのか、まだまだ未知数であり、
準備の仕方によって議論の方向性も変わってくるだろう。
いずれにせよ、台湾問題が多分に感情的側面を含んだ問題であるということが、
この問題の解決を困難にしている一要因である、と考えることは可能だと思う。

先日、フランス科の某M先生と、日中関係について話していた時のことだ。
先生は、李登輝訪日に際して、彼のことを、「迷惑な人間である」と評した。
何気ない一言であることは明白だった。
しかし、その瞬間、私の頭は真っ白になり、怒りすら感じたのだった。
私は、李登輝について、客観的な視点を失った自分に今でも驚いている。

一年間、台湾に住む。(ゴキブリと格闘し、北京語は習得できない)
小学校低学年頃まで、何度か台湾に足を運ぶ機会があり、
台湾はれっきとしたstateだと捉えていた。
祖父は李登輝と親交があり、
祖父の事務所には、李登輝と祖父の写真、そして台湾の旗がある。
二人は、親日・反中である。
李登輝の話をなんとなく聞かされて育つ。

中学生になった頃から、台湾に行かなくなる。
大学では、台湾は、国家承認をなされていないentityとして扱われる。
台湾と縁遠くなった私は、Taiwan Strait Issueに対して、
客観的な見解を持てると考えていた。

しかし、先日の某M先生の発言に、感情的になってしまった自分がいた。
台湾問題や、歴史問題の感情的な側面を、自分の存在を通じて痛感した瞬間だった。


と、だらだらと書いてしまいました。つまらないですね。
ただ、歴史問題などにはこうした個人の感情の根っこが常につきまとうのでは、
と思って書いてしまいました。
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※M先生は、留学に際してとてもお世話になりました。

今日は母が、私の進路とアイデンティティーについて初めて口を出す。
私はあまりにも楽観的で、半年くらい前に指摘してもらってはっとしたのですが・・・国家という枠組みの前では、異邦人になってしまうのか・・・でも、決してネガティブな要素としては捉えたくなくて、所与のgiftと思って大切にしたいものだし、今までもずっとそうしてきたのだと思う。別に誰かに押し付けるのでなく、自分の中でそっと大切にしてゆきたいものなのです。

2年前の投稿を見つけて、ちょっと眠れなくなりました。


台湾人生


追記:
上記のようなことについて思いを巡らせていると、最近この人を思い出す。
パブリックセクターでUne femme pour deux paysを実現するって日本ではなかなか考えられない。
本当にこの人キレキレで怖かったw