昨日はあまり寝ず、民法で意識を失ったw
今日はたくさん晩御飯を食べて、重い荷物を抱えて、傍若無人なかんじで眠気に倒れそうになりながら家に着き、10時半くらいにはベッドに入るものの・・・・・また覚醒してしまった。
最近もやもやしている、というウィーン在住の天体物理学者?の卵と話していて、お互いそういう年齢なんだなぁと思う。一緒に夏を過ごした16歳くらいの時とか、今より明らかに能力が劣っていたけれど、とにかくどこまでも遠くに行ける自信があった。そんな懐古的な思考回路になってしまった夜中です。
余談ですが、彼女は16の時から「私は天文学をやりたい」と言っていて。何年かぶりに連絡を取り始めたとき、彼女が天文学の学士号を取り終わったとの近況報告を聞いてものすごく嬉しかったな。
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異論があるかもしれないけれど・・・・
シアンスポでは、「多様なバックグラウンドを持つ人の中にいた」ようでいて、実はそうでもなかったのかもしれないと思う。政治科学系のグランゼコールであるゆえに、学生たちのアカデミックな言語や物差しは、意外と万国共通だったりする。海外からの留学生も、同じ学問体系を身に付けた上でシアンスポにやってくる。例えばみんな同じIRの本を読んだことがあったり、みんなle MondeやEconomistから情報を得ていたり、ゆえにちょっと言葉足らずでも容易に相手の言わんとしていることが想定できたり。
Political Scienceという枠組みの中での高みをまざまざと見せつけられたし、同じ学問的共通言語を持った人たちと触れると脳内に電波が走るような感覚がしたりもしたけど、良くも悪くもひとつの価値体系の中にいたのだな、と思う。
(それが西洋的学問体系、と言えるのかどうかはわからないけど、トルコの学生やインドの学生はこうした価値体系からはちょっと浮いていたように思える。まさに、多様性を提供していたのでしょう。)
同様の「前提」を持つ集団の中で、なんとなく皆が向かう方向が似ていて、そこにちょっと安心したりもしていた。というか、随分そこに浸かってしまったかなぁとも思う。自己正当化しやすい環境ではあったかな
(ある先生に至っては、君は将来外交官になりたいんだね、そうなんだね、とか催眠術をかけるように繰り返し言うしwとてもいい先生でしたが。)
東京では、「前提」が違う人たちと会う機会が意外と多いなと思う。
だからこそ、心地よい刺激を受けつつも、自分がぐらぐら揺れるし、違う尺度や異なるツールが欲しくなる。羨ましくなって真似したくなるんだな。いつも援用する「できないからやってみよう」ロジックを使いたくなってしまう。挙句の果てに、指導教官には、「そのロジックで行動することで結局何もできずに中途半端、と思ってしまうかもしれないけど、自分の強い部分は伸びてるんじゃないかな」と慰められるw
いろんな「前提」に浸かったり晒されたりするけれど、一度0ベースに戻したいこの頃。
16歳の夏には、自分がどうしたら一番価値を発揮できるか、わかっていた気がするな。
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と言いつつ、実務面では進めなければいけない側面もあって、去年の今頃かけられたD先生の催眠冷めやらぬ私は、いそいそと説明会へ向かうのです。D先生最強。
ちなみに、D先生から生徒へのメッセージ。
Parlez bien
Voyagez beaucoup
Parlez trois langues etrangeres
巧みに話せ
大いに旅せよ
3つの外国語を使いこなせ