2009年10月29日木曜日

眠れない夜に

昨日はあまり寝ず、民法で意識を失ったw 
今日はたくさん晩御飯を食べて、重い荷物を抱えて、傍若無人なかんじで眠気に倒れそうになりながら家に着き、10時半くらいにはベッドに入るものの・・・・・また覚醒してしまった。


最近もやもやしている、というウィーン在住の天体物理学者?の卵と話していて、お互いそういう年齢なんだなぁと思う。一緒に夏を過ごした16歳くらいの時とか、今より明らかに能力が劣っていたけれど、とにかくどこまでも遠くに行ける自信があった。そんな懐古的な思考回路になってしまった夜中です。

余談ですが、彼女は16の時から「私は天文学をやりたい」と言っていて。何年かぶりに連絡を取り始めたとき、彼女が天文学の学士号を取り終わったとの近況報告を聞いてものすごく嬉しかったな。

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異論があるかもしれないけれど・・・・
シアンスポでは、「多様なバックグラウンドを持つ人の中にいた」ようでいて、実はそうでもなかったのかもしれないと思う。政治科学系のグランゼコールであるゆえに、学生たちのアカデミックな言語や物差しは、意外と万国共通だったりする。海外からの留学生も、同じ学問体系を身に付けた上でシアンスポにやってくる。例えばみんな同じIRの本を読んだことがあったり、みんなle MondeやEconomistから情報を得ていたり、ゆえにちょっと言葉足らずでも容易に相手の言わんとしていることが想定できたり。
Political Scienceという枠組みの中での高みをまざまざと見せつけられたし、同じ学問的共通言語を持った人たちと触れると脳内に電波が走るような感覚がしたりもしたけど、良くも悪くもひとつの価値体系の中にいたのだな、と思う。(それが西洋的学問体系、と言えるのかどうかはわからないけど、トルコの学生やインドの学生はこうした価値体系からはちょっと浮いていたように思える。まさに、多様性を提供していたのでしょう。)

同様の「前提」を持つ集団の中で、なんとなく皆が向かう方向が似ていて、そこにちょっと安心したりもしていた。というか、随分そこに浸かってしまったかなぁとも思う。自己正当化しやすい環境ではあったかな(ある先生に至っては、君は将来外交官になりたいんだね、そうなんだね、とか催眠術をかけるように繰り返し言うしwとてもいい先生でしたが。)



東京では、「前提」が違う人たちと会う機会が意外と多いなと思う。
だからこそ、心地よい刺激を受けつつも、自分がぐらぐら揺れるし、違う尺度や異なるツールが欲しくなる。羨ましくなって真似したくなるんだな。いつも援用する「できないからやってみよう」ロジックを使いたくなってしまう。挙句の果てに、指導教官には、「そのロジックで行動することで結局何もできずに中途半端、と思ってしまうかもしれないけど、自分の強い部分は伸びてるんじゃないかな」と慰められるw

いろんな「前提」に浸かったり晒されたりするけれど、一度0ベースに戻したいこの頃。
16歳の夏には、自分がどうしたら一番価値を発揮できるか、わかっていた気がするな。

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と言いつつ、実務面では進めなければいけない側面もあって、去年の今頃かけられたD先生の催眠冷めやらぬ私は、いそいそと説明会へ向かうのです。D先生最強。

ちなみに、D先生から生徒へのメッセージ。
Parlez bien
Voyagez beaucoup
Parlez trois langues etrangeres

巧みに話せ
大いに旅せよ
3つの外国語を使いこなせ

2009年10月15日木曜日

「良かった」の中身

友達の素敵な日記を読んで、少し書きたくなりました。

結局、私にとっての留学とは何だったのか。

「どうだったの?」と聞かれて、「行ってよかった」「~~を勉強できた」とか、結構紋切型の答えを重ねてきましたが、1年の月日はそうした感想に収まりきるわけはなく。誰かに話したかもしれませんが、パリ政治学院への留学は、成功体験だけではなく、多くの挫折体験からも成っているわけです。なので、決して美化してはいけないな、と常々自分に言い聞かせています。成功体験だけを抽出して、「本当に良かった」と幕を引いていいものか。

いつもでも楽しく、美しい街並みの中を意気揚揚と闊歩していたわけでなく、夜中に、考えごとをしながら、Pont des Artsを渡り、ルーブルの庭を抜け、Rivoli通り沿いを歩き、コンコルド広場からまた左岸へ戻り、それでも落ち着かなくていてもたってもいられなかったこともある。

現実は「良かった」という言葉で簡単に割り切れなくて、もっと混沌としていたかな。成功体験と思しきものが意味を持っているとは限らないし、日常の何気ない連続が後からはっとするような意味を持つこともある。なので、帰国後三か月たった今も、私はあの1年を咀嚼し続けているのです。きっとこの留学を評価できるようになるのは、あと5年、10年経ったときじゃないかな、と漠然と感じる。

あの1年での挫折体験というのは、私にとって大きな財産であることに最近気づかされる。悔しくて仕方なかったこと、全力を尽くしたけど道半ばで手が届かなかった部分、力を出し切れなかった側面、そうしたすべてが今の私を突き動かすモチベーションであり、課題である。これらを乗り越えられたときはじめて、去年1年は私にとって「良かった」と言える期間になるのでしょう。

もちろん、できるようになったことはほんの少しは可視化されたりしているかな、と思ったりする。
例えば去年の論文指導と比べて、明確に自分の思考を外国語でそこそこのロジックの下に表現できるようになったり、言葉のキャッチボールの中での自分の球数が格段と増えていたり。まあ当然といえば当然なのだろうけど、少し嬉しかったかな。

小さな前進を大切にしつつ、パリで過ごした期間を今に生かしていきたいな。

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以下、箇条書き的に

・鎌倉へ久し振りに行きました。
・中学校の時にお世話になった先生の個展に行ったり。T先生、とてもお元気そうでした。当時、しっかり向き合って指導してくださったのが印象的です。
・勉強会のタスクが出現したようです笑 ロシアかー・・・
・論文を進めなければ・・・
・今学期はアジア科の授業をいくつかとってみます。今までとる機会がなかったので。

ということで、明日も駒場。駒場も実は、残り少ない。

2009年10月3日土曜日

Grâce à vous tous...!

おやすみなさい、を言って寝ようとすると心がざわついて眠れない最近、変な夢をいっぱい見ます。今朝は夢の中で、「おばあちゃん、もう食べられないよ~」と言いつつ、ナスのみそ煮をたくさん食べておりました。私、大丈夫かな・・・w


それはさておき、表題どおり皆々様のお陰で、ひとまず進路が決まったように思います。今回は、本当に「御蔭様で」という言葉がぴったり。飄飄と一匹狼的に準備をすればいいものの・・・・・あの時の私はどこに行ってしまったのでしょう?と焦りつつ・・・・・ここ二ヵ月で結局一番苦労したことは、もしかしたら法律の文言や学説ではなく、自分自身との付き合い方だったのかもしれません。自分にどん引きすることもありつつ、新たな扱い辛い一面も、上手くコントロールしなきゃいけないですね。


今日は偶然、恵比寿駅の改札で、幼稚園の担任のT先生にばったり。1月生まれの「未発達」な私に手を焼きつつも、芯が一本通ってるから、と仰って下さった人。弟のことを話したりしつつ数分だけお話したけれど、とても懐かしかった。22歳になっても互いに認識できるなんて、ちょっとすごいかもしれない・・・もしかしたら私が5歳から変化ないだけかもしれないけど。。。22歳の私は、芯の通った人間に映ったのでしょうか。


その後、T先生率いる「藤組―梅組」の一員だった友達と会う。自分の根っこを知ってる人に会うと、とってもシンプルかつ素直なモチベーションが湧いてくるから不思議です。お揃いのシュシュを頂き、女子っぽくていいなぁと思ったり^^


夜は祖母に電話をして、要は、知恵と力と女子力を磨きなさい、と言われた。電話の最後に、「人生って複雑ね。ふふ。」と言われた。すべてを乗り越えてきた人のことばは重い。


また眠くなってきた気がするので、布団に入ってみようかな。
助けてくれた人たちのお陰で、新しいスタートラインに立つチャンスが得られたことを感謝しつつ・・・
ここ10月、11月が勝負どころかな。

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「駒場の安全保障ってどうなの?」
という質問は、ちょっと無茶ぶりなんじゃないか、
・・・と、未だに思うのですが、どうなんでしょう笑